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ウイルスとの闘いや排他主義的政権に絶望する人々が求めた『鬼滅の刃』という希望/鈴木涼美

10月16日に公開されたアニメ映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が、公開10日で興行収入107億5423万2550円を記録。日本で公開された映画のなかで、歴代最速で興行収入100憶円を突破し、社会現象となっている
鈴木涼美

写真/時事通信社

轡のマルチチュード/鈴木涼美

 ギャル世代としては「超」を推したいところだが、私の妹世代は「オニ」を強調の接頭語として使うし、真っ当な大人は「心を鬼にして」など非情さの比喩表現として使う。  鬼の語源は「隠」の音読みが転じたという説が有力で、もともと隠れて姿が見えない悪霊や物の怪を指したようである。節分の頃、豆のパッケージや学校行事によく見るのはパンチパーマに金棒を持った赤色のアレだし、尼崎の鬼婆と呼ばれた人もいたし、中国の「鬼」は死者の魂を意味するから、鬼といってもその概念は散漫だが、それらを凌駕して最近は別の印象が増している。  映画『鬼滅の刃』が公開後10日で興行収入100億円を突破し、『千と千尋の神隠し』の最速記録を更新した。  普段漫画やアニメを追っていない大人たちも、コロナ自粛の下、ネット配信などでこの少年漫画を嗜んだらしく、実際に映画館には少年ジャンプの主要読者層から離れた妙齢の女性たちの姿がやたらと見られる。  ジャンプ漫画が女性たちの心を摑む例は珍しいわけではなく、むしろ『キャプテン翼』や『るろうに剣心』『テニスの王子様』など社会現象と化した作品の背後には、熱狂的な女性読者の支持があることは多いが、それにしても鬼滅ファンは、同人BLに群がる女子高生たちにとどまらない。  人気の秘訣の一つとして話題になっているのは、敵役の鬼たちも含めた登場人物たちの『レ・ミゼラブル』並みに残酷な過去の描写だ。  極端に不運な者たちの極端な性善説に基づいた物語が求められるのは、前代未聞のウイルスとの闘いや排他主義的政権への不信感によって、希望や自信を失いつつある世の中ではある種の必然に見える。現実が残酷な時、残酷によって強くなった人間が、残酷に屈した人間(=鬼)を倒す物語でもなければ今を凌げない。  特に、主人公の単純な人助けと家族愛という戦いの動機は、枯渇した人間社会への期待をくすぐる。彼が目指すのは海賊王でも鈴蘭制覇でも地上最強の父打倒でもなく、シンプルな世界平和なのである。  興味深いのは女性たちの描かれ方だ。主人公が剣士となるきっかけは、鬼に襲われ、自分も鬼にされてしまった妹を救うためであるため、ヒロインの少女は暫定的に鬼の姿をしている。  鬼だけに、超人的パワーを持たされはするが、牙の生えてしまった口に轡くつわを嵌められ、日光を避けるために主人公が担ぐ箱の中で、庇護の下に暮らす羽目になる。この、不本意に大きすぎる力を付与されて、自分の意思とは関係なく鬼のように暴れるところをスーパーヒーローであるお兄ちゃんに命懸けで守られるヒロイン像が、女の神経を逆撫でするどころか圧倒的支持を集めている。  個人的にはそこに、現代の強い女たちの疲労を感じて、強くなりつつ鬼にはならない女の道を模索しなければならないという気持ちになる。 ※週刊SPA!11月2日発売号より
’83年、東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。専攻は社会学。キャバクラ勤務、AV出演、日本経済新聞社記者などを経て文筆業へ。恋愛やセックスにまつわるエッセイから時事批評まで幅広く執筆。著書に『「AV女優」の社会学』(青土社)、『おじさんメモリアル』(扶桑社)など。最新刊『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(発行・東京ニュース通信社、発売・講談社)が発売中

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