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サッカーの神様・マラドーナの栄光と転落が、秘蔵映像で明らかに

弱冠15歳で一家の大黒柱に

 貧困地区で生まれ育ったマラドーナはサッカー選手としてプロデビューを果たしたことで、弱冠15歳で一家の大黒柱となった。家族の期待に応えようと厳しい世界を瞬く間に駆け上がっていった少年には、活躍の度に人々が寄りつきその都度多くの期待も寄せられるようになった。パーソナルトレーナーを務めたフェルナンド・シニョリーニは、ディエゴ・マラドーナをこう表現している。 「“ディエゴ”と“マラドーナ”という2つの人格が彼にはある。“ディエゴ”は不安定ながらもすばらしい青年だ。“マラドーナ”は後から生み出された人格だ。フットボールビジネスとメディアの要求に向き合うためだ。“マラドーナ”は絶対に弱さを見せない」
 Diego Maradona 1986

1986年、メキシコW杯で優勝

 また、後に妻となるクラウディア・ビジャファーネは、「彼は常に自分の価値を認めてもらいたがっていた」と承認欲求が強かったことを明かしている。最初は家族の期待に応えているだけだった“ディエゴ”少年は、日増しに増える取り巻く関係者の期待にも応えようと“マラドーナ”という人格を生み出し、いずれはアルゼンチン国民やナポリ市民の大きな期待を背負うことになった。

なぜマフィアに取り込まれたのか

 そういった重圧を抱えるなかで、マラドーナは悪魔の囁きにも応えることになる。万年下位に沈むイタリア南部のクラブで活躍すると同時に、その街を縄張りにするマフィアが近づいてきた。イタリアンマフィアは映画『ゴッドファーザー』で世界的に有名となったが、『ゴッドファーザー』はシチリアを縄張りととするコーザ・ノストラという組織を基に描かれている。  マラドーナに近づいてきたマフィアは、そのコーザ・ノストラと肩を並べイタリア4大マフィアと称されナポリを縄張りとするカモッラという組織のジュリアーノ一家だった。ナポリの神様となったマラドーナにジュリアーノ一家は違法薬物であるコカインと娼婦を供給。いわゆるドラッグ漬け、セックス漬けにしてしまったのである。その事態を察した周囲が救いの手を差し伸べようとしたが、取り巻きが増え多くの期待を背負うにつれ“ディエゴ”は孤独になってしまい誰の手もつかもうとしなかった。
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薬物所持で逮捕
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スポーツライター。日本最大級だったサッカーの有料メディアを有するIT企業で、コンテンツ制作を行いスポーツ業界と関わり始める。そのなかで有名海外クラブとのビジネス立ち上げなどに関わる。その後サッカー専門誌「ストライカーDX」編集部を経て、独立。現在はサッカーを中心にスポーツコンテンツ制作に携わる
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