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ひろゆきが小山田圭吾バッシングで心配する「子どもの教育に与える悪影響」

 教育において大きなテーマである「いじめ」問題。「いじめ」にはさまざまな原因が存在するが、なかには「正義感」に起因するものもある。著書『僕が親ならこう育てるね』で教育論を上梓したひろゆき氏は、「正義の不確かさを子どもに教える必要がある」と説く。

復讐にも限度! いじめの糾弾は新たないじめを生む

ひろゆき

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 いじめを実行する人にはさまざまな理由があるとは思いますが、嫌がらせなどの悪意から始まるものだけではありません。正義感に起因するものもあります。  最近では、過去にいじめをしていた小山田圭吾氏が、東京オリンピックに関わったことで問題視され、辞任に追い込まれました。そのとき、世間ではさまざまな声が上がりましたが、以下の意見について、みなさんはどこまで同意できますか? 「いじめは良くない」 「いじめをした人を許すべきではない」 「いじめをした人が公の仕事をするのは良くない」 「いじめをした人が人前に出る仕事をするのは良くない」 「いじめをした人が作品を売るのは良くない」 「いじめをした人の名前が視界に入るのは不快だ」 「いじめをした人は世の中からいなくなればいい」 「いじめをした人の家族が攻撃されるのは仕方ない」  このように「いじめは良くない」の延長線でさまざまな考えが出てくるわけですが、「どこまでの行為が正義として許されるか?」は人によって判断が分かれますし、正義感から始まった行為は、止める人も少ないので、加速しやすいような気がしています。

小山田圭吾バッシングは新たないじめを生んだ

 いじめが良くないことには同意見ですが、そこからのいじめをなくすつもりで声をあげた正義感からくる小山田バッシングは、いつの間にか新たないじめを生んだと思うのです。 「いじめは絶対悪で、根絶すべき」という考え方は、裏返すと「いじめをした人をいじめてもいい」という、いじめの肯定にも使われてしまう論理になります。  人間、いつ自分が弱者になるかはわかりません。今が強者だからと弱者を切っていいと言っていると最終的には自分が弱者側になる可能性もあります。
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「正義の絶対視」は危険だとひろゆきが考えるワケ
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