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上島竜兵さんの“純粋な面白さ”。水道橋博士「後輩芸人の憧れでした」

―[今週の顔]―

「芸人はみな竜さんになりたかった」老若男女に愛された国民芸の数々

故・上島竜兵さん 享年61

記者発表会に臨むダチョウ倶楽部のメンバー。左から寺門ジモン、肥後克広、上島竜兵。撮影日22年4月25日 写真/朝日新聞社

 5月11日、ダチョウ倶楽部のメンバー・上島竜兵さんの突然の訃報は、日本中を悲しみに包んだ。フリートーク全盛のいま、本物の芸を極めた一人の偉大なるコメディアンの雄姿を、もう二度と見られないことを惜しむ人も多いのではないか。  いまや伝説の番組として語られることも多い日本テレビ系『スーパージョッキー』(’83~’99年放送)で共演し、ダチョウ倶楽部を「兄」と慕うタレントの水道橋博士が振り返る。 「オチをわかっているのに笑ってもらえるし、スベっても笑ってもらえる。まさに芸人の理想を地でいく人だった。アドリブのように見えて、ほとんどアドリブはないんですよ」

「いつまでたってもたけし軍団への感謝を口にしていました」

 下積み時代には上島さんと寺門ジモンはテアトル・エコー、肥後克広はコント赤信号のもとストリップ劇場で芝居を学ぶ。ダチョウ俱楽部を結成してからはショーパブで芸を磨き、独特の「間」を体得した。 「熱湯風呂をやっていた当時、何回目の『押すなよ』で竜さんを風呂に押すかも綿密に打ち合わせていましたよ。もともと『聞いてないよ~』『熱々おでん芸』もビートたけしさんの番組で使っていました。それを国民芸にまで高めたのは彼らの功績です。それなのにいつまでたってもたけし軍団への感謝を口にしていました。  志村けんさんからも影響を受け、『どうだ、オレは面白いだろう』と偉ぶったところのない純粋な面白さを追求し続け、竜さんは老若男女に笑ってもらえる存在になった。有吉弘行さんが『将来はダチョウ倶楽部に入りたい』とよく言っていたように後輩芸人の憧れでした」
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「芸人の真骨頂をやり続けてきた」
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