更新日:2022年05月20日 19:08
エンタメ

「ギターソロ不要論」は繰り返されてきた。花形楽器ゆえの苦悩とは

ストリーミングサービスが変えた音楽の聴き方

   そして現代。「もうみんなギターソロなんて聞くヒマがないんだよ」と語るビリー・ジョー・アームストロング(グリーン・デイ)をよそに、ギターヒロインが活躍する時代になりました。  セイント・ヴィンセントやH.E.R.など、新世代の女性アーティストが素晴らしい演奏で楽しませてくれています。特にH.E.R.の活躍は目覚ましく、2020年のグラミー賞でのライブや、2021年のNFLスーパーボウルのハーフタイムショーで「America the Beautiful」をストラトキャスターの弾き語りで披露した姿は、改めてギターという楽器の美しさを教えてくれました。
 今後、日本でもソロを弾きまくる女性ギタリストがチャートを賑わしてくれたら、どんなに楽しいことでしょう。    こうして振り返ると、ギターのサウンドが途絶えた時代はただの一度もないことがわかると思います。  確かに、サブスクという鑑賞方法は音楽の聴き方や作り方を変えています。それによって、ギターソロが整理縮小のターゲットにされてしまう状況も避けがたい現実なのかもしれません。

折に触れてオワコン扱いされる理由は…

 それでも、ギターソロにはいつの時代にも人の心をとらえて離さない魅力がある。ニューヨーク・タイムズは、こう表現しています。 <しかしながら、ソロという形式が持つ感情を呼び起こす力は時の流れに耐えうる。単にエンターテイナーとしてのプライドを見せつけたり、楽器の腕前やアーティストとしての確固たる自信があることを示すためにギターソロを弾くのではない。最高のソロとは、アーティスト自らの中にある甘美な危うさを惜しげなくさらけ出す瞬間のことを言うのだ。> (『Why We Can’t Quit The Guitar Solo』2022年4月2日配信 筆者訳)  折に触れてオワコン扱いされるのも、そもそもギターが花形楽器だから。朝のワイドショーで盛り上がれるぐらい、まだまだ廃れちゃいない。  色々なものが合理化されていく世の中だからこそ、ギターソロの豊かなムダがますます貴重になっていくのだと思います。 文/石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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