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国民が「景気回復策をやめるな」と言い続けることが、国を良くすることにつながる/倉山満

大日本帝国も「大御心」を妄想する愚か者に引きずられて滅びた

 妄想は時に国を亡ぼす。大日本帝国も「大御心」を妄想する愚か者に引きずられて滅びた。  三例挙げる。  その一、天皇機関説事件。  大正から昭和初期にかけて、「天皇機関説」が憲法学の通説となり、明治までの通説であった「天皇主権説」を駆逐した。 「天皇主権説」とは、大日本帝国憲法を小学生レベルの国語で読み、「天皇は帝国の統治者だから主権者だ。一番偉い人だ! 従え!」と国民に強要した説だ。しかし、実際は政府の一部官僚が天皇の名前で国民に盲従を迫るのを正当化する御用学問にすぎない。むしろ天皇の名前で国民に盲従を強いたら、政策が失敗した際に国民の恨みが皇室に向かう。  そこで憲法学者の美濃部達吉は、憲法を「天皇機関説」で解釈すべきだと主張した。すなわち、「実際の統治は陛下に代わって臣下が行うべきだ。特に政治の最高権力者は、衆議院選挙で第一党になった政党の総裁が総理大臣になる慣例を蓄積し、国民の意向を最大限尊重した政治を行うべきだ」と主張、「憲政の常道」と呼ばれる二大政党による政党政治が確立した。美濃部説が根拠となった。  これが気に入らないのが、一部の軍人と彼らを使嗾(しそう)した高級官僚、「考えなしウヨク」だった。この連中は「機関説は天皇陛下を傀儡として扱うようなものだ」と主張、中には美濃部を銃撃した者もいた。運動は燎原(りょうげん)の火の如く広がり、政府は機関説否認を声明するに至った。  この際、昭和天皇は「自分は美濃部こそ忠臣であり機関説こそ正しいと思う。その朕に機関説否認を強要することこそ、この者たちが批判する機関説そのものではないか」と矛盾を糾弾した。しかし、昭和帝の警告は握りつぶされ、美濃部は逆賊として社会的に抹殺された。正論が通らない世の中が到来、敗戦で皇室に累を及ぼす端緒となった。

テロはテロ。思い込みの人殺しが許されるはずがない

 その二、2・26事件。  陸軍の一部青年将校が「昭和維新」を唱え武力を行使、宮中・政府・軍の高官を殺しまわった。当時、腐敗した政党政治に代わり、清潔な軍人ならば世の中を正してくれると、国民からの陸軍青年将校への支持は大きかった。実態は、陸軍の高級軍人は派閥抗争に明け暮れ、それでいて世間知らずの青年将校を扇動し、遂には政敵へのテロを使嗾(しそう)するに至っただけなのだが。もっとも扇動した高級軍人たちも、本当に暗殺・大量殺人に及ぶとは想像もしなかっただろうが、教唆犯の罪は免れない。  青年将校たちは「我々の真心は陛下に伝わるはずだ」と自分たちの正義を信じて疑わなかった。  しかし、昭和天皇は事件の第一報を聞くや激怒、即座に討伐を命じた。帝都東京に暴動を起こした部隊が陣取り、総理大臣不在で政府機能が麻痺している状況、こういう時の帝国憲法は天皇が秩序を回復する役割を果たすよう求める。昭和天皇の激怒を合図に、青年将校たちは叛乱軍として討伐された。  作家の三島由紀夫は「右翼」を自認しながら、昭和天皇への批判者としても知られる。その理由の一つが、昭和天皇が2・26の青年将校を潰したことだ。三島はこれを「恋闕(れんけつ)」だと訴えたが、意味不明だ。ストーカーの身勝手な愛情のようなものか。  しょせんテロはテロ。思い込みの人殺しが許されるはずがない。「富の偏在は許さない。青年将校は貧乏な農民を救済せよ」と主張しながら、劇的な景気回復を成し遂げた高橋是清蔵相を暗殺した。愚かな、お門違いも甚だしい。
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妄想大御心は国を亡ぼす。早めに駆逐すべし
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1973年、香川県生まれ。救国シンクタンク理事長兼所長。中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程修了。在学中から’15年まで、国士舘大学日本政教研究所非常勤職員を務める。現在は、「倉山塾」塾長、ネット放送局「チャンネルくらら」などを主宰。著書に『13歳からの「くにまもり」』など多数。ベストセラー「嘘だらけシリーズ」の最新作『嘘だらけの日本古代史』(扶桑社新書)が発売中

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