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安倍晋三を祀る神社が建立…「死ねば、みんな神様」になるのか。神社本庁の見解は?

仮に祀られても「神様となるかどうかは別問題」

「個人の信仰や想いでお社を建てることはありますが、それは否定しません」  なるほど、故人を顕彰する意味で神社を建立しても、祀られた実在の人物が神様となるかどうかは別問題ということだ。  なぜなら、神様は信仰をする人がいて、はじめて神様になるものだからである。社殿を建立し「○○の神である」と宣言することは、誰でもできる。でも、誰もその神を敬い参拝しなければ、単なる箱である。乃木神社や東郷神社は、いわば「成功例」であるが、失敗例、すなわち実在の人物を祀る神社を建立したが続かなかったという事例もある

ノリと勢いだけでは継続は難しい?

 かつて熊本県宇城市にあった竹崎神社は、1930年に元寇で活躍した武士・竹崎季長を祭神として創建されたが、今は廃社となり小さな祠が残るのみである。岡山県岡山市にかって存在した三勲神社は、明治初期に尊皇の志を示すとして和気清麻呂・児島高徳・楠正行を祭神に創建されたが、今は石碑が残るのみである。どうも、いつの時代もノリと勢いで実在人物を神様として祀る人はいるものの、継続は難しいようだ。  祀る形を整えるだけなら、誰でもできる。でも、末永く信仰を集めるか否かは別問題ということか。誰も信仰する人がいなければ「神様」にはなれない。森羅万象に神が宿るとする日本の信仰は美しいが、肝心の信じる人がいなければ成立しないのである。  果たして、安倍元首相は神になれるのか……!? <取材・文/昼間たかし>
ルポライター。1975年岡山県に生まれる。県立金川高等学校を卒業後、上京。立正大学文学部史学科卒業。東京大学情報学環教育部修了。ルポライターとして様々な媒体に寄稿。著書に『コミックばかり読まないで』『これでいいのか岡山』
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