パセラ“2代目”跡継ぎ娘、社長就任の知られざる舞台裏。カラオケ業界のコロナ苦境を乗り越えて
コロナ禍で大きな打撃を受け、苦境に追い込まれたカラオケ業界。
だが、2023年にWHOが緊急事態宣言を終了すると発表、人流や宴会需要の回復に伴って再び活気が戻りつつある。
コロナ明け2年目となる2024年は、カラオケ各社も生き残りに向け、真価が問われる局面だと言えるだろう。
こうしたなか、業界最多の190万曲数を誇り、首都圏および大阪を中心に24店舗を展開しているのが「カラオケパセラ」(以下、パセラ)である。
パセラの歴史は今から30年以上前までさかのぼる。
1992年にパセラ池袋西口を1号店としてオープンさせると、そこから怒涛の勢いで店舗数を拡大していく。
池袋、御徒町、秋葉原、上野、新宿、お茶の水など、都内の主要エリアに出店し、90年代に事業の礎を築いたのだ。
幼少期から、経営者である父(荻野勝朗氏)の背中を見て育った荻野さん。
だが、「小さい頃に、父がカラオケに連れて行ってくれた記憶は一度もない」と語る。それなのに、なぜカラオケビジネスを始めたのか。
実は当初、日本最大級の遊技場を目指す予定だったものの、想定以上の大失敗に見舞われ、存続の危機に陥ってしまったのだ。そうした状況下で社員数名が集い、緊急で開いた会議であがったのが、カラオケのアイデアだったという。
「熾烈な競争を繰り広げていたカラオケ業界に後発で参入したのは、『汚い・まずい・不親切』という“3つの負”に着目したからです。真反対の『綺麗・美味しい・親切』で他社と差別化し、この業界のマイナスイメージを払拭できれば勝てる。そう信じてパセラ事業を立ち上げたのです」(荻野さん、以下同)
料理の品数が少ない。カラオケの密室空間が怖い。画一的な接客で、サービスの品質が低い。
成熟した産業で顕在化していた“残念な部分”に目をつけ、そこを解消していくことで、事業成長の活路を見出したわけだ。
「カラオケという商品の構造上、本質的には時間を切り売りするビジネスであり、時間帯コストをかけられないがゆえに、サービス品質を高めにくい性質があります。
カラオケはあくまで“歌いに行く場所”なので、それでも十分なわけですが、パセラでは、お客様が大切な人と素敵な時間を過ごせるカラオケ店を目指しました。ちょっとした日常の“ハレの日”を演出できるプランを考案するなど、独自の付加価値を提供するように努めたんです」
また、アニメ・ゲームとの常設コラボ店舗や、“推し活”を応援する「推しカラーアフタヌーンティー」、料理の味に満足できなかった場合に返金する「お味保証制度」など、パセラならではの独自性を追求しているのが特徴だ。
パセラを運営するNSグループ(ニュートン・サンザグループ)は、2023年4月に創業者の娘である荻野佳奈子さんが跡取りとして引き継ぎ、新体制のもとで事業に取り組んでいる。
じつは、荻野さんは先代に「社長をやらせてください」と直談判したそうだが、その裏側とは……。そして、“2代目”として約1年が経とうとしているが、彼女が見据える未来とは!?
マイナスイメージを払拭するため、カラオケ業界へ後発で参入
独自の付加価値を追求し「歌いに行く場所」から「ハレの日を過ごす場所」へ
1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている
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