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中学卒業後に15歳で社会へ。40代で超富裕層になった「みんなと合わせられない」男性の衝撃の半生

20歳で専門学校に入るも「みんなと合わせられない」

携帯電話の仕事を続けつつ、20歳になると、専門学校「資格の大原」に通い始めたそうだ。しかし、ここでも周囲に合わせることができなかったと語る。 「やっぱり、授業を一緒に受けられないんです。先生に『 じゃあ、今からみんなで問題を解きましょう』と指示されても、15分くらいで終わっちゃう。『みんなに合わせて、こんなくだらない授業を60分も受けるなんて……』って考えていました。 先生にお願いして、 テストだけ受けて、自分のペースで勉強させてもらいました。簿記1級も取れたし、大検も取れました」 勉強仲間を作ってモチベーションを維持する者もいるが、長原さんは「学校でも専門学校でも、友達は作らなかった」と断言する。 「お金がもらえないのに、人間関係に縛られるなんて嫌だなと思っていたんです」 何事にも縛られない長原さんは、携帯電話に限らず、次々と新しいビジネスに挑戦していった。 「ニュースを見ていてひらめいたバイアグラの個人輸入、iMacの購入をきっかけに知ったパチンコ攻略法、テレビの有料チャンネルが日本に進出するためのパラボラアンテナ販売、ネットワークビジネスで流行っていたプロポリスの通常販売……。稼げそうなものは何でもやりました」 ネットワークビジネス(マルチ商法)に加担していた、という意味だろうか? 「ネットワークビジネスって、中にはいいものもあるんです。 ネットワークビジネスの商品を見ていたら、プロポリスが流行っていたから、普通に買いたい人に向けて売ろうと思い立ちました。 注文が入ってから仕入れて売ればいいから、在庫を持つ必要もありませんしね」 飲食業の中の “ナイトレジャー産業”にも進出し、数々の店舗の経営にも携わったそうだ。しかし、これが富山へ戻るきっかけになったと話す。 「20歳の時、名古屋のお店から駐車場まで歩いている途中に、いきなりガラス瓶で後ろから殴られたんです。僕はみかじめ料を払わなかったから、 反社会的勢力の人たちの怒りを買っていました。当時、界隈でみかじめ料を払っていないお店は僕だけ。オープンしたら火炎瓶を投げ込まれたり、嫌がらせをされたりしていました。 いきなりガラス瓶で殴られたことは2度もあって、僕のことを両親は心配していました。身の危険も感じるし、そろそろ地元に戻ろうと思い立ったんです」 またしても、せっかく築き上げた事業を手放すことになるわけだが、抵抗はなかったのだろうか。 「当時はドコモはドコモショップ、auはauショップと、キャリアごとの専売制が確立されてしまったんです。加盟店になるには資本金1億円が必要で、あの頃の僕にはそんなお金はなかった。 それに正直言って、もう携帯ビジネスの終わりが見えていました。どこにいても仕事はできるし、抵抗はなかったです」

21歳で再び富山へ。新しいビジネスに挑戦

食事21歳で地元に戻ってからは、ナイトレジャー産業の他に、新たに不動産ビジネスを始めたそうだ。 「 きっかけは、空きテナントを有効活用したい大家さんと知り合ったことでした。『3~4か月、家賃を無料にするから、何かやってくれない?』と頼まれたんです。 そこから、空きテナントや後継者の問題を抱えた人たちが、相談に来るようになりました。業種は美容業と飲食店が多いですね。 例えば美容室の経営者で70代の方から『俺は引退したいけど、スタッフさんたちはまだまだ40代で働きたいと思ってるみたいだ。 後継者を探してしてくれないか』と相談されたり、美容室のスタッフから『 経営者が突然亡くなって困っているんだけど、 誰か経営してくれる人を探してくれないか』と相談を受けたこともありました。 美容業も飲食店も経営が難しく、“3年で9割が潰れる”と言われています。 だから、この手の依頼は次々と舞い込んできますね」 また、今でもナイトレジャー産業は続けているという。 「直営店は1店舗のみですが、出資している店舗は100店舗を超えています。顧問契約という形で、福岡をはじめ全国各地から『出資してほしい』と依頼が舞い込んでくるんです。1店舗あたり5万円の顧問料で、500店舗くらい契約しているんじゃないかな」
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「みんなに合わせない。自分で考えて行動する」
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ライター、作家。主に金融や恋愛について執筆。メガバンク法人営業・経済メディアで働いた経験から、金融女子の観点で記事を寄稿。趣味はサウナ。X(旧Twitter):@yel_ranunculus、note:@happymother

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