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日本国憲法によって日本の伝統は“リセット”された? 上念司氏が語る教科書に載らない戦後史

日本を分断や崩壊の危機に晒した「敗戦革命」とは?

戦後の日本 大変残念なことに、戦後の占領政策を主導した連合国軍総司令部(GHQ)の一部に共産主義勢力が紛れ込んでいました。彼らは、日本社会を急進的に改革しようとする進歩的な思想を持ち、天皇を廃位させ國體を破壊することを目論んでいたのです。  実際に彼らは、軍隊を解体し、憲法改正や教育改革、労働運動の奨励などを推進しました。特に、労働組合の組織化や学生運動の活発化は、共産党の勢力拡大を助長し、社会不安をさらに高めました。  江崎氏は、この「敗戦革命」の動きが、日本を分断や崩壊の危機に晒したと主張します。中でも、1947年のゼネスト(全国的な労働者のストライキ)が成功していたら、本当に革命が起こっていた可能性は高かったと述べています。  当時、共産主義者たちは、戦後の混乱と社会不安を利用して、資本主義社会の転覆と社会主義国家の樹立を目指していました。  具体的には、労働運動を中心に広範な大衆を動員し、ゼネストを通じて日本政府の機能を麻痺させることを計画していました。彼らの戦略は、労働者階級の不満を糾合し、経済的混乱を政治的な変革へと結び付けるというものでした。

ゼネストはマッカーサーによって直前に阻止された

 1947年2月1日に予定されていたゼネストは、官公労(官公庁労働組合)を中心に計画され、鉄道や電力などの基幹産業を含む大規模なストライキが予定されていました。  このストライキが実行されれば、交通機関や公共サービスが停止し、国全体が混乱に陥ることは確実でした。共産主義者たちは、この混乱を利用して、労働者階級を中心とした革命的政府の樹立を目指していたとされています。  さらに、共産主義者たちは、ゼネストの成功を機に全国的な蜂起を誘発し、既存の国家体制を崩壊させる計画を立てていました。この計画は、ソ連をモデルにした一党独裁体制の構築を視野に入れたものであり、GHQ内の一部勢力からの支持を得ることで実現可能性を高めようとしていました。  しかし、この計画は最後の最後でGHQ最高司令官のマッカーサーによって阻止されます。ゼネストは実行直前に禁止命令が出され、この計画は実行されませんでした。  マッカーサーはゼネストが日本の社会的・政治的秩序を著しく混乱させる可能性にようやく気付き、共産主義者の思惑を阻止する決断を下したのです。  江崎氏はもしゼネストが予定通りに実行されていれば、冷戦初期のアジアにおける地政学的な勢力図は大きく変わっていた可能性があると指摘します。本当にその通りです。危なかった。 <文/上念 司 構成/日刊SPA!編集部>
1969年、東京都生まれ。中央大学法学部法律学科卒業。在学中は創立1901年の日本最古の弁論部・辞達学会に所属。日本長期信用銀行、臨海セミナーを経て独立。2007年、経済評論家・勝間和代氏と株式会社「監査と分析」を設立。取締役・共同事業パートナーに就任(現在は代表取締役)。2010年、米国イェール大学経済学部の浜田宏一教授に師事し、薫陶を受ける。金融、財政、外交、防衛問題に精通し、積極的な評論、著述活動を展開している。
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