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どの命を救うのか、決めるのは予算の都合だ。どこかで諦めねばらない/倉山満

言論ストロングスタイル

13日、7府県への緊急事態宣言追加発令について、記者会見で質問に答える新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長(右)と菅義偉首相 写真/時事通信社

どの命を救うのか、決めるのは予算の都合だ。どこかで諦めねばらない

 医療政策の基本を述べる。どの命を救うかは金次第である。この現実を受け入れられないコドモは、以下の文章を読んでも何も理解できないであろう。  医療従事者は「すべての命を救いたい」との倫理観で仕事に向かうのが建前だ。だが、現実にはすべての命は救えない。あらゆる命は、いつか死ぬ。だから、「命は貴い」は医療政策において、重要性の証明にならない。  たとえば、交通事故に遭った人の命も、インフルエンザで死にそうになっている人の命も、新型コロナウィルスで苦しんでいる人の命も、等しく重要だ。  ではどこで差をつけるのか。カネだ。救急医療に予算を割くのか、クリニックの人件費に財源を回すのか、はたまた隔離病棟に資源を投入するのか。いずれにしても、医療問題を政策として論じる場合、議論の決着は、どこにどれだけの予算を配分するかに収斂される。仮にすべての命を救おうとしよう。国家予算は一日で破綻する。  現実を突きつける。どの命を救うのか、決めるのは予算の都合だ。どこかで諦めねばならない。これを判断するのが大人だ。

カネが無ければ命は救えない

 では、その予算はどこから発生するのか。経済力である。個人においても寿命はカネで延ばせるし、経済力のある国では救える命の数は増える。では、国家経済そのものを止めればどうなるか。医療そのものが行えない。世の中には「命も経済も」という愚かな議論がある。だが、カネが無ければ命は救えない。この点を無視するから、いつまでたってもコロナ禍は収束しないのだ。  そもそも、新型コロナが国家経済そのものを止めるほどの疫病だと、誰が証明したのか。昨年の緊急事態宣言の際は未知の伝染病との理由は立った。だが、コロナ禍から1年。ペストのような危険な伝染病だとの証拠はあるのか。なければ、経済を止める合理的理由はない。  別にコロナが安全だと言っているのではない。証拠はあるのかと言っているだけだ。経済を止めるのを政府とアドバイザーの専門家と称する連中は軽く考えていないかと言っているだけだ。  名指しする。なぜか神聖不可侵の如く扱われる、誰もが認める政府の助言者である尾身茂氏だ。尾身氏は一貫して新型コロナの危険性を訴えてきた。今回の緊急事態宣言でも主導的役割を果たしたのは日本中の誰もが知っている。  結果、飲食業が狙い撃ちにされて、なけなしの補償金だけが出る仕儀となった。その中で尾身氏は「皆が自粛に耐えられるような補償を」と訴えている。御立派だ。ここだけを取り出したら。  だが、つい最近までGoToキャンペーンをやっていたのは誰か。日本政府ではないか。それが手のひら返しだ。尾身氏にまったく責任はないのか。
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