インドネシアのDJシーンは厳しい徒弟制度の世界だった

 ユーロビートが西洋から輸入され、日本で独自進化したように、インドネシアで独自進化したダンスミュージック「ファンコット」が、最近日本の音楽業界で密かに注目を集めている。果たしてファンコットとはどのような音楽なのか? ファンコットを日本に初めて紹介したDJにしてクラブ店主、高野政所氏に解説してもらった前編(https://nikkan-spa.jp/413031)に続き、後編は高野氏が現地で目撃した「インドネシアのDJ事情」について語ってもらおう。  2010年にインドネシアに赴いた高野氏。現地で見たインドネシアのクラブ事情に衝撃を受けたという。 「まず、インドネシアの繁華街でもコタ地区というところがファンコット発祥の地なんですが、ここは歌舞伎町と秋葉原を合わせて100倍凶悪にしたような街なんですよ(笑)。日本企業の駐在員とかは近づかないように言われている場所で。でもクラブの盛り上がりは凄い。1000人規模のところも少なくないし平日でも満員なんです。そこではDJの地位も高く、それが職業として成り立っている世界だった。市場がしっかりしていて、スクールで教えたあとに就職先を斡旋しているんです。スクールも厳しく、師匠の前で曲をつないで判定されるという徒弟制度がはっきりしていて、腕も異常にいいんですよ。お客さんもシビアだし耳が肥えているんです」
ファンコット

現地のDJから譲ってもらったりして集めた音源

 現地で知り合ったクラブDJに誘われ、彼らが所属するDJスクールを取材しに行くとそこがまた凄かったという。 「3か月で基礎を仕込まれ、2か月のインターンシップののち、クラブに就職するんです。もちろん就職先はスクールが斡旋します。卒業した現役DJたちはクラブで回すだけでなく、オフィスで楽曲などを作成したり、生徒に教えることをするんです。もちろんタイムカードありで」  スクール取材時に、同校のボスの部屋(社長室)に案内されたところ、社長の肖像画が何枚も飾られる中、パイオニアの高級機材、CDJ2000とDJM2000のセットが鎮座していたという。 「DJスクールの社長が超高級機材を保有するほどビジネスとしてちゃんと成り立っているんですよ。家族を養っているDJもたくさんいますね。一家の大黒柱がDJなんてこともあるくらい」 ※【動画】高野氏が訪れたジャカルタのDJスクール&プロモーターのYR MIXINGでDJプレイを高野氏に見せる社長⇒https://nikkan-spa.jp/413054
 ただ、インドネシア国内でも貪欲に盛り上がりを追求するファンコットを軽視する向きもあるという。 「南部のほうの若者はトランス、プログレ、R&Bを中心とした西洋のクラブミュージックを好む傾向があります。現地のファンコットDJとこのことについて話した時、彼らは“南の連中はウエスタンポイズンにやられている”と言ってたんです。このフレーズにガツンとやられました。日本でも音楽が『カッコイイか・ダサいか』で語られちゃうことって多いですよね? これって、その音楽自体を好きかどうかじゃなくて、『聞いてる俺がどう見えるか?』っていう、自己演出のツールみたいになっちゃってるんですよ。また、一方で音楽好きっていうのも、その楽曲の歴史や背景など二次情報を語ることとかが好きで、クラブでも壁に寄っかかって腕組みながら聞くような感じの人もいる。それも別に悪くないんだけど、ファンコットは自分たちの伝統を織り込みながら、貪欲なまでに盛り上がることを追求しているんです。その潔さがすげぇカッコイイって思って魅了されたんです」  ファンコットのサウンドには確かに日本人の琴線に触れる何かがある。それはもしかしたら、単に馴染みのあるサンプリングネタが入っているからではなく、こうした「アジアのプライド」みたいなものもあるのかもしれない。 <取材・文/日刊SPA!取材班>
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