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PROFILE

森巣博
森巣博
1948年日本生まれ。雑誌編集者を経て、70年代よりロンドンのカジノでゲーム賭博を生業とする。自称「兼業作家」。『無境界の人』『越境者たち』『非国民』『二度と戻らぬ』『賭けるゆえに我あり』など、著書多数。

番外編その3:「負け逃げ」の研究(17)

 翌日も早起き。5時には下のフロアに降りていた。

 朝5時ごろというのは、一般にカジノの打ち手にとって微妙な時間帯であろうが、なぜかわたしには向いている。

 ――早朝のカジノには、おカネが落ちている。

 はずだから、それを公明正大に卓の上から拾うのである。

 この時間より早いと、前夜の悪運を引きずった負け組がまだ惰性で打っていたりして、場の空気が酸っぱくなっていることも多い。

 前日、ジャンケットのおねーちゃん二人組がテレ・ベッティングを開始するまで、他の打ち手が誰もいない早朝のプレミアム・フロアで、わたしはバカラという鬼畜なゲームと孤独に向き合い、満足できる結果を残していた。

 20万HKD(300万円)以上を稼ぎだしている。

 勝利の方式は、それが途切れるまで、継続したい。

 これもオカルトである。なんの「科学的根拠」もない。

 しかし、ションベン博奕(ばくち)ではどうあれ、胃の粘膜に穴があきそうな深刻な博奕の打ち手で、「ジンクス」や「ゲン」をかつがない人間を、わたしは一人も知らない。

 丁と出るか半と出るか、まったく不明。

 根拠となるものも、皆無。

 そんな不可知なものに、大枚なおカネを賭けるのだ。

 人知を超えたナニモノかに、運命をゆだねる。

 そして、祈るのだ。

 その祈る対象とは、わたしの場合、神とかそういうものじゃなかった。

 全知全能の神の不在は了承しつつ、それでも祈る。

 祈れ、祈りつづけよ。

 カジノというのは、夢を見る場所である。

 また同時に、わたしにとっては、一心不乱に祈る場所でもあった。

 ジンクスとかゲンなんて、どうでもいいようなものだが、それでも一応それらに敬意を払う。

 すくなくともわたしには、負けたときの言い訳が、ひとつ減るはずだ。

 まあ、負けたときの言い訳は無数にあるので、ひとつぐらい減っても、どうということはないのだが。

 ジンクスに従うゆえ、もしジャンケットのおねーちゃんたちがまた早朝のプレミアム・フロアに現れたら、すぐに勝負卓を立つ。

 ついでだが、英語で「ジンクス(JINX)」といったら、不幸なことが起こる予兆ないしは「言い伝え」を意味する。

 ポジティヴな局面で使われることは、ない。

 日本語での「ジンクス」とは、ポジティヴな場合とネガティヴな場合の両局面で使用され、混乱しているのだけれど。

 ジャンケットのおねーちゃんたちが現れたら、即刻席を立ち、フロアにある小食堂でお粥の朝食をいただく。

 それから部屋に戻って、新聞でも読もう。

 そう決めていた。

 通常わたしの滞在に、このハウスが割り振るのは、200㎡超のスイートだ。

 ほとんどの滞在では、眠るだけに使う部屋だから、無駄に大きい。

 スイートの中に、寝室・居間・スタディ(執務室)、そしてカラオケルームまでついている。

 バスルームは、マッサージ室が付属した大きいのがひとつだけだが、シャワールームとサウナが別の場所に独立してそれぞれ2つずつある。

 トイレは、4箇所。

 バカじゃないの(笑)。

 結果的に宿泊費用は、プログラムに含まれるコンプですべて「オン・ザ・ハウス(=無料)」になる(これもハウスが仕掛ける罠のひとつ)だろうとはいっても、まあ、こんな部屋に一人で滞在する方が、バカなのである。

 とりわけ、負け博奕でデポジットが消滅し、広いスイートにぽつんと一人で残されて、帰りのフライトまでの時間を殺しているときは、つらい。

 でも、わたしにも言い分がある。

⇒つづきはこちら
番外編その3:「負け逃げ」の研究(18)

~カジノ語りの第一人者が、正しいカジノとの付き合い方を説く!~
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賭けるゆえに我あり

番外編その3:「負け逃げ」の研究(16)

 教祖さまは、膝をついて絨毯上に散らばったキャッシュ・チップをかき集めている。

 それなりの責任を感じ、わたしも手伝おうとした。

「触るな!」

 と教祖さまの一喝。

 ちょろまかされる、とでも思っていたのだろうか。

 そんなセコイ真似はいたしません。

 あなたのおカネを奪うなら、絨毯の上ではなくて勝負卓の上で、公明正大におこないますよ、はい。

 わたしは絨毯上で四つん這いになっている教祖さまに背を向けて、ケージを目指した。

 こういったアクシデントが起きると、勝負の流れが変わることが多い、と思う。

 もちろん、「科学的」な主張ではない。

 ――勝負にアヤがつく。

 と博奕(ばくち)場では言う。

 勝負にアヤがついたはずなのに、そして一直線ではなかったのだが、わたしがあらたに用意した30万HKD(450万円)のノンネゴシアブル・チップが、どういうわけか、ゆっくりとしかし確実に減っていった。

 わたしは教祖さまの裏張りを仕掛けていただけだから、仕掛けられたご当人のキャッシュ・チップは増えていく。

「おかしいなあ」

「博奕は運気。あんた、影が薄いよ。わたしには見える。あんたから運気が去ってしまったことが」

 と教祖さま。

 てやんでえ、と思う。

 そう思うのだが、しかし、わたしの手元に残っているチップの量が、隠せない現実を示していた。

 1000HKDチップ100枚の教祖さまのスタックが、いつの間にか4本を超えている。

 ここは、いったん退却だ。

 いや、もとい。帝国大本営陸軍部発表にならえば「転進」である。

 手持ちが10枚の1万HKDのノンネゴシアブル・チップとなったときに、わたしは教祖さまの坐る卓を立った。

「いや、ありがとう。あんたは救いの神だった」

 と嫌味を言われながら。

 我ながら、情けない。

 あと200万円分の勝利、なんて色気を出して坐ったこの卓で、きっちりと50万HKD(750万円)やられてしまった。

 裏張りで殺しにいって、返り討ちにあう。

 まったくみっともない博奕を打ってしまったのだが、しかし今回の遠征成績を総合すれば、わたしはまだ16万HKD(240万円)ほど勝利していた。

 カジノの建物を一歩でも外に出れば、240万円といったら大金だ。

 ところが、これも「カジノの不思議」で、どうしても大金を勝利している、とは思えない。

「あの時から、750万円やられている」

 と考えてしまうのである。

 じつは「あの時」というピナクル(頂点)に滞在できるのは、ほんの一瞬。そこから眺めてみれば、すべての地点はマイナスとなってしまう。

 これも「希望の病理」の一形態、「カジノの罠」と呼んでもよろしい。

 わたしは意気消沈し、Iさんと岸山さんの坐る卓に、「転進」のご挨拶にうかがった。

「これであがりますので」

「どうでした?」

「Iさんに間違って勝たせてもらった30万HKD、欲を掻いてすべて溶かしちゃった。ごめんなさい」

 追加で失った20万HKDの分は、この際、伏せておいた。

 わたしは原則として、博奕場で「悪い」とは言わないのである。

「Easy come, Easy go.ですね」

 Iさんは日本を離れてまだ日が浅いのだが、的確な英語表現を使う。

「夕食はどうなさいます? わたしたちはCOD(シティ・オブ・ドリームズ)の『かねさか』に席をとってありますので、よろしければご一緒しませんか」

 と岸山さん。

 高級鮨を喰う気分ではなかった。

「わたしは、そこいらへんの麺粥で済ませます」

 岸山さんもIさんも、順調に勝利しているようだ。

 10万HKD(150万円)のキャッシュ・チップが、卓上でスタックをつくっていた。

 お二人は高級鮨、わたしは麺粥を喰い、教祖さまへの復讐を誓う。

⇒つづきはこちら
番外編その3:「負け逃げ」の研究(17)

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番外編その3:「負け逃げ」の研究(15)

 ケージ(=キャッシャー)に向かう途中に、教祖さまが坐っているバカラ卓があった。

 卓上に積み上げられた1000HKDのキャッシュ・チップでつくるスタックは、2本とちょっと。

 ずいぶんとやられているようだ。

 そうであるなら、教祖さまの裏を張り、さっきの負けを取り戻す。

 わたしの内部に、スケベイ心がもこもこと湧き起こってきた。

「参加してよろしいですか?」

「どうぞ、どうぞ。しかし、ケーセン(罫線)はよくないですよ。あっち行ったり、こっちに来たり」

 確かに、わかりづらいケーセンだった。

 ピンポン(プレイヤー・バンカーと交互に勝ち目が現れるもの。いわゆる「横目」)かと思えば3目(もく)落ちて、じゃ、3目切れかと思うと、5目まで伸びる。

 それでもいいのである。

 出目の画を参考にしてベットする気は、わたしに毛頭なかった。

 じゃ、何を参考にして大切なおカネを賭けるのか?

 この局面この場合は、教祖さまだ。

 落ち目の人間の裏を張る。

 俗に言う「人間(ホシ)ケーセン」である。

 教祖さまは、1000HKDチップ100枚でワン・スタックとしていくので、卓上に積み上げられたそれは、かなり不安定な状態だ。

 わたしは勝負卓を揺らさないよう、静かに席についた。

「あんまりチップを高く積み上げていると、何かの拍子に崩れますよ」

 とわたし。

「いやいや大丈夫。念力が籠もったキャッシュ・チップですから」

 と訳のわからないことを言う、教祖さま。

 宗教の人だから、訳のわからないことを口走るのは仕方ないのかもしれないが、それにしてもヤバソー。

 あまりかかわりにならない方が、よさそうだ。

 わたしは、短期勝負に決めた。

 わたしが坐ってからの初手は、教祖さまが2万HKDのプレイヤー・ベット。

 ならばわたしは、同額の裏目バンカー・ベット。

 数字など憶えていないけれど、プレイヤー側の簡単な勝利でした。

 ん?

 まあ、そういうこともあるさ。

 次手、教祖さまはダブル・アップで4万HKDのプレイヤー・ベット。

 ほんじゃわたしは、同額の裏目バンカー・ベット。

 これも数字は覚えていないが、やはりプレイヤー側の楽勝だった。

 ん、ん?

 わたしの手持ちは、1枚の1万HKDノンネゴシアブル・チップのみとなった。

 これでは勝負にならない。

「ちょっと待ってください。兵隊を補充してきます」

「ええ、いくらでも待ちますよ。あなたが幸運を引き連れてやって来てくれたのだから」

 どうやらわたしは、落ち目の打ち手にも舐められてしまったようだ。

 わたしはケージに向かおうとした。

 勝負卓でもノンネゴシアブル・チップの追加バイ・インは可能だが、ケージでおこなうより時間がかかるからである。

 とにかく、短期決戦を目指す。

 ぽんぽんぽん、と200万円相当の勝利をもぎ取って、はい、フィニート。

 立ち上がるときに、わたしの腿が軽くテーブルに触れた。

 故意じゃなかった、と信ずる(笑)。

 テーブルが揺れて、教祖さまが積み上げていた1000HKDチップのスタックが崩れた。

 1本100枚の不安定な山である。

 全面崩壊だった。

 バカラ卓の上のみならず、絨毯の上にも緑赤色の1000HKDキャッシュ・チップが四散した。

「あわわっ」

 と教祖さま。

「ありゃ、ごめんなさい」

 と殊勝に詫びるわたし。

 あんなチップの積み上げ方をしているほうが悪いんじゃ、と内心では舌を出していたのだが。

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番外編その3:「負け逃げ」の研究(16)

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賭けるゆえに我あり

番外編その3:「負け逃げ」の研究(14)

 あと200万円。  この2日間で間違いみたいに1000万円近く勝っているのだから、あと200万円程度を得るための打ち方は、それほど難しくないはずだ。  一番簡単な方法は、ここぞという一手に14万HKD(210万円)を賭 […]

番外編その3:「負け逃げ」の研究(13)

 一手で450万円の配当を受け取ったわたしは、そのままケージ(=キャッシャー)に向かう。  なんてことは、やはりなかった。  そこまで、人間ができていない。  朝方博奕での勝利分を含めると、この日の「日当」は、すでに50 […]

番外編その3:「負け逃げ」の研究(12)

 グリーンの羅紗(ラシャ)に顎を擦りつけるようにしてIさんが絞り起こしていたプレイヤー側1枚目は、セイピン(横のラインに4点が現れるカード)の9。 「おおっ」  肚の底からの3人の吐息というかうめき声が、同時多発的に漏れ […]

番外編その3:「負け逃げ」の研究(11)

 本日の「労働」は終了、と思っていたのに、そして通常カジノでイロモノには手を出さないはずなのに、 「ちょっと失礼」  わたしはIさんから1万HKD(15万円)チップ3枚を借用すると、プレイヤー・バンカーの両サイドのトイチ […]

番外編その3:「負け逃げ」の研究(10)

 スパのマッサージ台で目覚めたのが、午後2時過ぎ。  身体には純毛の毛布が掛けられてあった。  マッサージの途中で、あまりの心地よさに「落ち」てしまったのだろう。  熟睡だった。  エキサイティングでスリリングなアクショ […]

番外編その3:「負け逃げ」の研究(9)

 ところが、モーピン(1か2か3)のカードの方を絞っているときに、 「サム」  と、お隣りの卓からの掛け声。  あっさりと呼び込まれ、そのカードは3でした。  そして、サンピン(6か7か8)の方のカードを絞っているときに […]

番外編その3:「負け逃げ」の研究(8)

 1億円なら1億円をジャンケット業者に預け(あるいはジャンケット業者からクレジットを出させ)、その日・その時の電話番号をもらう。  バカラ卓には、通常二人一組で、ジャンケットのランナーが坐っている。  ランナーの席前の卓 […]

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