仏紙銃撃テロ 殺されても自己責任…フランス人にとって風刺画とは?
フランスの新聞社『シャルリー・エブド』へのテロ襲撃事件は、ヨーロッパをはじめ、世界各国に衝撃を与えた。首都パリでは、言論の自由を求めて160万人と史上最大規模のデモが行われたのは周知のとおりだ。
ここで気になるのは、襲撃を受けたシャルリー・エブド社(以下、シャルリー社)の風刺画は褒められたものだったか否かという点。人が譲れないものを誹謗中傷すること(今回でいえばイスラム教の預言者・ムハンマド)は言論の自由というよりも、言葉の暴力とも取れる。そこまでして守りたい風刺画、そしてフランス人にとってのジャーナリズム精神とはどのようなものか?
「今のフランス共和制は、言論の弾圧を強いた、ナポレオン三世の第二帝政を打ち倒し建国されました。そのため風刺画を含むジャーナリズムと言論の自由は、フランス共和国にとって、勝ち取った権利であり国是であることが前提としてあります」
そう語るのは、フランス文学者の鹿島茂氏。古書コレクターであり、風刺画も多数所有する。弾圧を乗り越え、獲得した言論の自由は尊いというわけだ。
「当時は、言論の自由に対して“決闘”という名の抑止力がありました。ジャーナリストは、中傷した相手から決闘を申し込まれたら、絶対に受けなければなりません。ピストルかフェンシングで戦い、結果として殺されても仕方がないのです。ですから、19世紀のジャーナリストは、まず射撃かフェンシングを習いにいったようです。道場が街のいたるところにあり、結構儲かっていたみたいですよ」
「ペンは剣よりも強し」の理屈が通らない時代。彼らは、カフェやレストランでは壁に背を向けて座り、ピストルを所持。批判記事を書くのは自由だが、結果として、「命を狙われても自己責任」という歴史があったのだ。
もちろん、現代では決闘を行ったところでただの犯罪者。しかしフランスでは、名誉毀損を裁判で訴えても被害者側が敗訴するケースが少なくない。フランスの社会は言論機関に甘いのだ。ということは、シャルリー社の風刺画を、多くのフランス人は“正義”とみなしているのだろうか?
「あそこまで過激にイスラム批判を繰り広げていたのは、シャルリー社を除くと僅かです。また多くのフランス国民も、シャルリー社の風刺画を擁護しているわけではありません。多数の人間がデモに参加した理由は、暴力で言論を封殺する時代が再来することへの恐怖ともいえるでしょう」
デモに参加した人たちのすべてが、シャルリー社の代弁というわけではないということだが、そこまでして、強硬に言論の自由を打ち出したシャルリー社にもタブーはあるという。
「反ユダヤ主義です。フランスは何でも明文化する社会ですから、ホロコーストを礼賛する言論は法律で禁止されています。1990年に成立したゲソー法です。もしこれ以上、イスラムと言論の自由の対立が激化するようであれば、曖昧さを避けるための反イスラム言論に法規制を提案する人が出るかもしれません」
テロ事件後も、『シャルリー・エブド』の一面には、ムハンマドの風刺画が掲載されている。ジャーナリストの気概とみるかは人それぞれだが、剣とペンの抗争が泥沼化しないことを祈るばかりだ。 <取材・文/日刊SPA!編集部>
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