「日本とイスラームの理想とする社会は似ている」ムスリム協会に聞く、コーラン教義の本当の意味とは
先日、フランス・パリのシャンゼリゼ通りで起こった発砲事件など、今なお過激派組織ISによるテロの脅威が去らない世界。そういった凄惨なテロのたびに取り沙汰されるのが、“イスラーム教”への疑念、そして大多数のテロとは関係ないムスリム(イスラーム教徒)に対するいわれなき誹謗中傷である。世界三大宗教の1つとして、地球上で約16億人もの信者を抱えるイスラーム。
1日5回の礼拝や断食など、厳格な教義のイメージが先行し、日本人にとって馴染みの薄い宗教だが、ここ日本にもイスラームの教えを奉じて日々を送る、敬虔な日本人ムスリムたちがいる。彼らにイスラームの実像、クルアーン(コーラン)の本当の意味を伺うべく、日本ムスリム協会を訪ねてみた。
JR五反田駅から徒歩5分ほど、その一角にクリーム色の瀟洒な建物がある。そこが日本イスラーム文化交流会館だ。日本人のムスリム団体『宗教法人 日本ムスリム協会』の理事・樋口美作氏、そして金子貴弘氏の2人に話を聞いた。
「来日したムスリムがよく『日本にはイスラームはないけど、ムスリムがいっぱいいる』と言います」
果たして、どういうことなのか。樋口氏は、ムスリムと日本人には共通する美点がいくつもあるという。
「それは、つまりイスラームと日本人の美徳、考え方が近いということ。藤原正彦氏の『国家の品格』(新潮新書)という本のなかでは、次のように書かれています。どこの国でも人間には一定の精神の形(道徳)がある。日本には、鎌倉時代以降武士道に培われた形(道徳)があるのですが、その考え方がイスラームの道徳の形と似ている、と。特に強調されているのが弱者に対する同情。“弱い者を助ける行為”、これが日本人の武士道精神の形でありイスラームの道徳でもあるんですよね」
さらに、樋口氏はこう続ける。
「イスラームには喜捨(弱者や貧者を援助する行為)の教えがあります。たとえば、旅人が来て困っていたら食と宿を提供する、なんてことが当たり前です。最近は日本の“おもてなし”の文化が世界でも注目を集めていますが、お客さんをもてなすことに関しては、ムスリムも負けていません」
こうした美徳は、日本人の価値観にも通じる部分があるだろう。
「もしも海外のイスラーム圏に行き、トラブルにあったり本当に困ったら、ミナレット(イスラームの宗教施設に付随する塔)を探して尋ねてみるといいでしょう。ムスリムではなくとも、まず追い返されることはありません」
“おもてなし”の価値観をはじめ、日本人とムスリムの類似点について、イスラームの聖地・サウジアラビアのマディーナで学生時代を過ごした金子氏は次のように語る。
「全てのムスリムがイスラームの教えを忠実に全う出来ているかと言われれば、出来ていないことを前置きしたうえですが…。クルアーンやハディース(預言者ムハンマドの言行録)に書かれていることが、日本人の理想とする社会にも結びつく部分があります。つまり、日本人とイスラームの理想とする社会は似ている。とはいえ、現代の日本は個人主義ですが、ムスリムは横の繋がりが今でも非常に強い。この点は大きく違うと感じます」
クルアーンの教えから、日本人と同様に“おもてなし”や“助け合い”など、相互扶助の精神をムスリムたちは持っている。とはいえ、相互扶助とは、だれかに助けてもらうばかりではなく、自分もだれかに与えなければならない。樋口氏は、かつて航空会社でサラリーマンとして働き、イスラーム圏のムスリムたちと仕事をしていた経験がある。そこで感じたことがあるそうだ。
「深い付き合いが根付いた社会の中で、ムスリムたちから無理な仕事をお願いされる機会も多かった。彼らと円滑な関係を保つには、むげに断ってはなりません。その後、助けてもらえなくなる場合もありますから。常に“相手を助ける努力の姿勢”を見せなければならず、相互扶助の精神は日本以上かもしれません」
現在、個人主義が強い時代となった日本の社会。相互扶助は失われつつもある。だが、美徳として忘れてはならない精神だ。イスラームにおいては、今もなおその精神が社会と人々に根強く残っているそうだ。
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クルアーン(コーラン)に書かれている美徳とは
「日本とイスラームは“理想とする社会”が似ている」
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渋谷系ファッションをはじめ、若者カルチャーからアウトロー、任侠系にキャバクラ、風俗ネタまで、節操なく取材&執筆をこなす、貧乏暇ナシなライター・コラムニスト。酒とタバコとクラブとギャルが大好きな“ギャルおっさん”。
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