歴史の教科書が「習った内容と違う」 そもそも聖徳太子は存在しなかった!?
最近の教科書を見ると、習った内容と違う!という箇所がチラホラ。多摩大学客員教授の河合敦氏に話を聞いた。
「有名なのが、源頼朝や足利尊氏の肖像画。『伝・源頼朝像』というあいまいな表記になり、約10年前に日本史の教科書から消えました。頼朝とされていた肖像画は、所蔵する京都の神護寺の伝承で頼朝といわれていたもの。しかしある美術史家が、目や耳などのパーツの描き方がずっと後の室町時代に流行したものと主張。ちょうど足利直義が、兄の尊氏と自分の肖像画を神護寺に収めたという文書があり、描き方も直義の時代と合致することから、この肖像画は直義というのが定説になってきています」
あの一万円札の聖徳太子もそもそも存在しなかったという説も。
「当時皇太子という制度はなく、また、二十歳そこそこの青年が十七条憲法を作ったり遣隋使を派遣したりできたのか、摂政という制度の存在も疑問です。聖徳太子の記載があった『日本書紀』を作らせたのが、蘇我氏を滅ぼした中臣鎌足の息子・藤原不比等。『日本書紀』自体が、蘇我氏の業績を消すためにねつ造された可能性があり、蘇我馬子の業績を聖徳太子に移したのでは、と考える学者もいます」
ほかにも、教科書の記載が変わる理由がある。鎌倉幕府成立の年号は、1192年ではなく1185年説が浮上している。
「源頼朝が征夷大将軍に任命されたのが1192年。でも頼朝が平氏を滅ぼし、全国に守護・地頭を置いた1185年が武家政権としての幕府の成立とする説が近年は有力です。私が大学のときには、1221年、幕府が朝廷を圧倒した承久の乱が鎌倉幕府の成立と教える先生もいました。いろんな説を唱える学者がいるため、確定できないんです。教科書では、多くの学者が認めているものが採用されます」
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