更新日:2017年11月16日 20:11
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逮捕と拷問から17年、死刑が“無罪”となった戦後の冤罪「仁保事件」【大量殺人事件の系譜】

やっていない犯行を自白させる警察の拷問

 こうした非人間的な扱いに耐えかね、やがて、捜査当局のシナリオ通り、やってもいない犯行を自白せざるを得なくなったのだ。完全な見込み捜査。自白を偏重した要因は、実は警察のメンツにあった。O氏を犯人と断定する物的証拠が何ひとつなかったにもかかわらず、事件から1年が経過し焦りを見せていた警察は、威信を示したかったのだ。唯一の証拠が容疑者の自白だが、これには証拠能力がない。憲法38条が次のように謳っているからだ。 <強制、拷問もしくは脅迫による自白または不当に長く抑留もしくは拘禁されたのちの自白は、これを証拠とすることはできない。何びとにも、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、または刑罰を科せられない>  もちろんO氏は、公判で無実を一貫して主張している。しかし、1・2審はともに死刑判決が下った。裁判官は必ず真実を明らかにする。正義を守る。そう固く信じていた被告は、絶望的な状況に陥ってしまった。司法にも裏切られ、捜査陣のメンツのために殺されてしまうのか。しかし1970年、最高裁は次のように指弾し、審理を高裁に差し戻した。 <原判決には、いまだ審理を尽くさず、証拠の価値判断を誤り、ひいては重大な事実誤認をした疑いが顕著であって、このことは、判決に影響を及ぼすことが明らかであり、これを破棄しなければ、著しく正義に反するものと認められる>
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逮捕から17年、死刑判決から「無罪」へ――
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