更新日:2022年08月19日 10:12
カーライフ

ふりかけ、しょうゆ、わさびが必需品の世界一過酷なラリー「パリダカ」は、いつから「ダカールラリー」になった?

 現在、世界一過酷なラリーとして知られ、クロスカントリーラリーの最高峰と言われている「ダカールラリー」をご存じだろうか。「パリダカ」といえばわかる人もいるかもしれない。

砂漠を走る日野自動車のカミオン(トラック)

 実は「ダカールラリー」が「パリダカ」と呼ばれていたのは、ずいぶん前の話。元は「パリダカ」の名前が表すとおり、フランスのパリを出発しアフリカ大陸セネガルのダカールでゴールを迎えるルートで行われていた。その際は「パリダカ」と呼ばれていたわけだが、ラリー中に通過するアフリカの国々の政情が軒並み悪化したことなどでルートが変更され、2009年から舞台を南米大陸に移して行なわれているのだ。 ⇒【写真】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=1262346

「ダカールラリー」はアルパカも観戦・応援をしている!?

 ちなみにパリからスタートしたのは2001年が最後。「パリダカ」の最後は2001年だったことになる。ただし、よく考えるとスタートがパリじゃなくなっただけでなく、ゴールもセネガルのダカールではなくなったのだから、「パリ」だけなくして「ダカールラリー」としたのも変な話ではある。これについては、全部変えると何のレースなんだかわからないことになるのでダカールだけ残したそうだ。  そんな「ダカールラリー」のイメージといえば砂漠だが、そもそも「ダカールラリー」は砂漠や山岳地帯などの悪路を走破する「ラリーレイド」と呼ばれる競技大会の1つ。約2週間で約9000kmを走破しなければならない過酷なもので、毎年2輪、4輪、カミオン(トラック)が参戦し、完走率は50%に届かないそうだ。

道が川みたいになってしまっていることも

「長いところで1日1000km強、19時間移動することもあります。標高4700mを走ることもあるため、高山病にかかるレーサーもいるし、酸素が薄くて移動中に気絶するスタッフもいます。レースが行われる1月は、南半球は真夏で日中は42度になることもありますが、標高が高いところでは夜はマイナス6度になりますね」とは、現地で「J SPORTS号」に乗り、「ダカールラリー」を取材するスポーツ専門テレビ局「J SPORTS」のプロデューサーだ。 「レーサーだけで約500人。スタッフやプレスを合わせると約5000人が約2週間かけて約9000kmも大移動するのが『ダカールラリー』。その際、我々日本人の必需品は『ふりかけ』『しょうゆ』『わさび』です。これさえあれば何でも食べられますから(笑)」

4輪部門に出場するトヨタ車体

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日本で“パリダカ”が広まったのは、三菱パジェロの活躍が大きい
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