DX生誕―WWEのあしたはどっちだ!?――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第274回(1997年編)
月曜夜のソープオペラ“ロウ・イズ・ウォー”のキーパーソンズはショーン、“ストーンコールド”スティーブ・オースチン、そして“世界でいちばんアブナイ男”ケン・シャムロックの3人。そのすぐ後ろにはヒール路線を歩みはじめたロッキー・メイビア(のちのザ・ロック)、“多重人格”ミック・フォーリー、“アンダーテイカーの弟”ケインの3人が立っていて、アンダーテイカーだけがつねに別格というのがトップグループの基本レイアウトだった。
シャムロックはこの時点ですでにプロレスの型をWWEスタイルにコンバートし、ロープワークのできるプロレスラーに変身していた。ビンス・マクマホンは“格闘家”シャムロックにWWEスタイルとの融合を求め、シャムロック自身もそれを望んだ。ビンスはUFCに代表されるMMAをプロレスと観客層を共有する新しいジャンルとして認識していたが、それ以上の関心は示さなかった。
この時代のアメリカのプロレス・シーンは毎週月曜夜の2時間ワクのTVショーとその“番組内容”によってすべてが動いていた。WWEの“ロウ”(USAネットワーク)とWCWの“マンデー・ナイトロ”(TNT)が同日・同時間帯に別べつのチャンネルで“プロレス中継”をぶつけ合っているという状況はすでに2年以上つづいていた。
2大メジャー団体によるメディアの闘いは、それぞれの番組のレーティング(視聴率)とシェア(占拠率)のふたつの“数字”で争われていた。占拠率という概念はテレビのチャンネルの絶対数は少なかった時代の概念で、アメリカ国内のケーブルTV市場の多チャンネル化により占拠率はちょうどこのころに姿を消し、その後、ホームス(ある一定の時間帯にその番組を視聴した世帯数)という新しい数値に切り替えられた。
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