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ショーン派閥とブレット・ハートの緊張関係――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第194回(1995年)

「サマースラム95」オフィシャル・ポスター

夏のスーパーショー“サマースラム95”のカード編成にはショーン派閥“クリック”の政治力、発言力が色濃くディスプレーされていた。(写真は「サマースラム95」オフィシャル・ポスター)

 ブレット・ハートとショーン・マイケルズの“暗闘”は1995年4月の“レッスルマニア11”あたりからはじまっていた。それはWWE世界ヘビー級王座をめぐる闘いであり、WWE内部の権力闘争でもあった。

 ショーンはディーゼル(ケビン・ナッシュ)、レーザー・ラモン(スコット・ホール)、123キッド(ショーン・ウォルトマン)、ハンター・ハースト・ヘルムスリー(現在のトリプルH)らとクリックなる派閥を結成。“数の理論”でバックステージでの影響力を強めていった。いっぽう、ブレットは仲間と群れることを嫌い、つねに単独行動を選択した。

 夏のスーパーショー“サマースラム”(19959年8月27日=ペンシルベニア州ピッツバーグ)のカード編成とそのレイアウトには、わかる人にはすぐにそれとわかり、わからない人にはまったくわからない、きわめて政治的な思惑がうごめいていた。

 全9試合中、第1試合と第2試合、セミファイナルとメインイベントの4試合がすべてショーン派閥クリックがらみのシングルマッチになっていた。オープニング・マッチの白使(新崎人生)対キッド(パワーボムから白使がフォール勝ち)、第2試合のトリプルH対ボブ“スパークプラグ”ホーリー(ペディグリーからトリプルHがフォール勝ち)の2試合は、クリックが製作総指揮・監督のビンス・マクマホンに対してマッチメーク上でのなんらかの発言力を行使したことを示唆していた。

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セミファイナルには王者ショーン対挑戦者ラモンの対戦

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