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郊外貧困の最新事情「“ファスト風土”はもっと悲惨なことになっていた」【映画監督・富田克也】

甲府に移住してきた被災者から見えたもの

――そんなエグいことになっているんですね…(笑)。他にもし、いま『国道20号線』を撮るとしたら、撮りたいものはありますか? 富田:福島から山梨に逃げてきている人たちとも結構知り合いました。彼らは原発事故の2年後に逃げてきた人たちなんです。つまり、2年間は行政の発表する放射能測定値を信じ、現地に住み続けていたんですよ。結果、息子さんの甲状腺に異常が表れ、お孫さんはふたりとも耳が聞こえない状態で産まれてきました。一方でいま、政府は避難した人たちを福島に戻そうとしていますよね。だから、直後に逃げた人々との入れ違い現象が起きています。 甲府に避難してきた彼らは「私たちは絶対に戻ることはありません」と断言していました。しかも、どこの医者に行っても放射能との関連は絶対に認めてくれないんです。つまり、なんの補償もない。体調不良で仕事もままならない。かといって、生活保護受給申請に行こうものなら車もなにも贅沢品ということで取り上げられてしまう。他県から来ていて共同体も機能しない現代において、山梨で車なしの生活は相当にきついですよ。あらゆる悪循環が俺たちの身近なところで起きている、そんな感覚です。

映画『サウダーヂ』より

――『サウダーヂ』もまさに現実と地続きの作品です。あそこに描かれていたブラジルの方たちが今どうしているのかなど、そのあたりの取材などはされていますか? 富田:こないだブラジル人の友人が久々にパーティーやるからと誘ってくれたので行ってみたら、お店の中でバンドが演奏していて、それなりに人も集まっていい感じで盛り上がっていました。 『サウダーヂ』が上映されたころの、かつての一大コミュニティほどではないですけど、少しはいい雰囲気に戻っているのかなと思いました。ちなみに『サウダーヂ』でちっちゃな女の子二人と両親が食卓を囲むシーンの家族は、実はブラジルに帰らず残っているんです。

映画『サウダーヂ』より

――ブラジル人のお子さんたちももう結構大きくなっているんじゃないですか? 富田:そうですね。ちっちゃな妹のほうは「『サウダーヂ』観たよ。つまらなかった」って言われましたが(笑)。でも、お姉ちゃんの方はもうすぐ高校生で「私はおもしろかった」と言ってくれました。あの家族は奥さんがフィリピン人というのもあって、苦しい時期にブラジルに帰るのを踏み留まった家族なんですよ。  『サウダーヂ』撮影時はリーマンショックの直後で、しかも北京オリンピックの鉄鋼の特需も終わって首切り真っ最中の時期。ブラジル人も日本人もキツかったけど、そんな一番悪い時期から比べると仕事も少し戻ってきて、残っていた人たちもあの頃に比べれば少しはラクになったんじゃないかな。単に全体数が減ったからというだけなのかもしれませんが。でも、みんなの元気そうな顔を見て、少しだけほっとしました。
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■作品情報
『バンコクナイツ』 http://www.bangkok-nites.asia/
(c)Bangkok Nites Partners 2016  2017年2月25日(土)テアトル新宿、横浜シネマ・ジャック&ベティにてロードショー開始。全国順次公開

■取材協力
「春夏秋冬」山梨県甲府市大里町3261コシイシテンポ3棟(『バンコクナイツ』にて富岡役を演じた空族俳優・村田進二氏が店長)
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