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NHKの“清宮びいき”アナ、稀勢の里の“疑惑”に触れない実況…スポーツ実況がおかしい

スポーツ実況は何のためにするのか?

 以前ウォールストリートジャーナル紙に、「Don’t Bore Us with the Obvious」(09年9月26日配信 “テレビ観てたら分かることにいちいち触れるな”)という記事が掲載されていた。映像が捉えたプレーの背後にあるストーリーを伝えるのがキャスターの役割だというのだ。 スポーツ実況 紹介されているのは、名物リポーターのケン・ローゼンサル。相手打者の放ったライナーの処理を誤りランニングホームランにしてしまったボビー・アブレイユ外野手が、ベンチでアーヴィン・サンタナ投手に何か話しかけていたのだ。(註・両者とも当時はロサンゼルス・エンジェルスに所属)  その様子を目にしたローゼンサルは、両者の表情やボディランゲージから話の内容を推察し、放送の中で伝えたのだという。 「すまなそうにするアブレイユに対し、サンタナは“いいよ、気にすんな”といった具合で微笑んでいた。具体的な言葉は分からなかったけど、私にはそう見えたんだ」  このように映像を“翻訳”することがキャスターの役割であり、それができなければ「だまって絵だけ映してろ」と記事は締めくくっている。  先の大相撲と比べると、これはとても皮肉な話だろう。なぜなら、“テレビ観てたら分かること”それすらにも触れなかったからだ。しかもその“the Obvious”は些事ではなく、いずれも取組の結果を左右し得るアクションだった。コメンタリーはそこを押さえて、視聴者に判断をうながすガイドでなければならないのだ。“感動”はそのあとについてくるオマケ程度のものだろう。

もし実況・解説の音がまったくなかったら

 おびただしいまでの“清宮”連呼で埋め尽くされた野球中継は、実況の音がなかったケースを想像してみよう。  英・ガーディアン紙の記事「Olympic sporting commentary:why more is often less」(12年7月31日配信 “なぜしゃべればしゃべるほど伝わらないのか”)は、ロンドン五輪の女子ホッケー、ドイツVSアメリカの中継を論じている。当時BBCのサブチャンネルで実況、解説の音声もなく放送されたという。  しかし余計なおしゃべりがないことで選手同士の声や歓声、スティックとボールのぶつかり合う音が聞こえてきて、テレビ観戦していた記者も次第にのめり込んでいく。結果、ひとつひとつのプレーに集中できたおかげで、ホッケーという競技をより主体的に楽しめたというのである。

歴史に残る名実況

 そのうえで良い実況とは、「スポーツの偉大な瞬間が呼び起こすむき出しの感情を伝えること」なのだという。ひとつの例がジョージ・フォアマンの復活劇だ(1994年)。ポイントで劣勢だったフォアマンの一撃がマイケル・モーラーをとらえると、実況のジム・ランプリーがこう叫んだのだ。 “It happened…! It happened…!”(まさかの出来事が起きた)  それは「キリストの再臨を目撃したかのような」興奮を如実にあらわしていた。だから、歴史に残る名実況となったのだ。  では、“清宮”の連呼をどう考えたらいいだろう。このアナウンサーにおける“清宮”は、完全に試合から隔離されていた。しかも清宮にはフォアマンのような衝撃を呼び起こすほどの物語もない。にもかかわらず、“清宮”に込められた熱は異様なほど高まっていた。  だとすればそれは“余計なおしゃべり”というよりも、ほとんど念仏のようなものか。だから不愉快なのではなく、うっすら恐怖を覚えたのかもしれない。  以上が、2020年にオリンピックを開催する国のスポーツ放送の現状である。筆者は、それが膨れ上がる関連予算以上に恐ろしい事態だと感じている。 <TEXT/石黒隆之>
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