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男の娘や女装家は「家族を味方につける」しかない――女装小説家・仙田学の願い

 20代に入ると、私は女装から遠ざかった。  再開したのは、20年ほどが経った頃。連載の第1~2回で詳細を書いた、篠山紀信氏にグラビア撮影をしていただいた日がきっかけだった。  雑誌の表紙になって嬉しかったと母親はいう。 「ボランティアの集まりのときに、みんなに披露したんよ。そしたらひとまわり年上の女性が、仙田さん、こんなこと心配やないの?って。え、面白いやないですかって答えたら、そのひと首かしげてはったけどな。これが世間の声なんか、と思ったわ。でもその人、学の本買ってくれはったで」  一貫して世間の声を気にしない母親と違い、父親はどう思っていたのかはわからない。女装姿をリアルで見たことはたぶんなかった。 「グラビア見せたときには、お父さん、うん、ゆうて見てはったで。なんとなく嬉しそうな表情に見えたよ。学の本は、学著作って書いた紙貼って、自分のクローゼットに大事に保管してはる。仙田家親族にも送りまくってはったよ」  中学生の頃、反抗期になってぶつかって以来、父親とはずっと疎遠な感じで生きてきた。それが生きづらさの原因かもしれないと思ったこともある。  父親と対話をして和解することから、つまりは自分と向きあうことから逃げているのではないか、という強迫観念を抱きながら生きてきた。いまだに、父親とはどう接していいのかよくわからない。年に1~2回、実家に帰ったときにも碌に口を利かない。  父親ももう72歳。会える時間は限られている、とぼんやり考えることはあるのだけれど。  でも小説を通して、そんな形で対話ができるのなら、それがうちの家族のありかたなのかもな。  今回、母親と電話をしてそんなことを思った。 「『SPA!』の連載、面白いけど、あんまり過激にならんようにな。深みにはまってほしないわ。怖い人に絡まれたりせんよう気いつけや」  どうやら「女の子クラブ」の記事を読んで、新宿の裏社会と繋がりかけているのでは、と心配になったらしい。心配するポイントが微笑ましい。繋がる予定はないと断言しておいた。  いつからだろう、母親の髪の毛は真っ白になっていた。  結婚式のスピーチで「手に負えない子どもでした」と呟いた母親の白髪の原因は、私の好き勝手なことばかりしてきた生きかたにあると思ってきた。  でも案外、母親もノリノリだったのだ。  男の娘がメイクや着替えをする場所を確保するためには、「家族を味方につける」しかないと最初に書いた。  私の母親や、出会ってきた女の子たちはかなり特殊な部類に入るのかもしれない。  でも「特殊」の枠におさめるだけで済ませたくはない。  ガンプラやサバゲ―やバスケと、女装は何が違うのだろう?  無意識的にそう感じている家族も少なくはないはず。  「世間様教」という宗教から距離を置く寛容さを手に入れてもらえれば、味方になってくれる家族もいる。  この連載が、そんな家族の目に留まることを願っている。  とはいえ、私も大きな壁にぶち当たることになる。  結婚して新しい家族を作ったときのことだ(続く)。

幼き頃の筆者。クマのぬいぐるみを抱きしめている…

<文/仙田 学> 【仙田学】 京都府生まれ。都内在住。2002年、「早稲田文学新人賞」を受賞して作家デビュー。著書に『盗まれた遺書』(河出書房新社)、『ツルツルちゃん』(NMG文庫、オークラ出版)、出演映画に『鬼畜大宴会』(1997年)がある
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