男の娘や女装家は「家族を味方につける」しかない――女装小説家・仙田学の願い
私が女装を始めたのは16歳の頃のこと。
母親の記憶によると、夕方に駅まで車で迎えに行ったら、女の子の恰好をして帰ってきたらしい。
家を出るときにはいつもの服装だったのに……。
「上はファー付き襟で丈短い茶系の可愛いモコモコした服。下はタータンスカート」
電話で訊いてみたところ、26年前の出来事なのに、母親の記憶は鮮明だった。よほどのインパクトだったのか。
「これで電車乗ってきたんや、って唖然としたけどな。深くは聞かへんかったわ。なんや楽しそうやったし。それで外歩いてるて、世間の目を考えたら若干恥ずかしかったけどな」
この連載の第3回で書いたように、きっかけは当時付き合っていた年上の美大生女の子に勧められたことだった。
おそらく、その日は初めて彼女に服を借りて、どこかで着替えて帰ってきたのだろう。
ときどき女装をするようになり、家で着替えて母親に駅まで送ってもらうようになった。
「心配は特にしてへんかったわ」
と母親は繰り返す。
美大生の女の子を家に招いて両親に紹介していたこともあって、女装はセクシャリティに絡むものではなく、遊びのひとつとしか思わなかったのだとか。
その直前まで2年近く引きこもっていた息子が外に出るようになって、むしろほっとしたらしい。アルバイトを始めて友達ができて女の子と付き合うになって、と社会性を帯びていく過程のひとつと捉えたのだろう。
「女の子の恰好してたけど、ほんま元気になってよかった思たわ。似合ってたし、可愛かったで」
大阪芸術大学に進学して一人暮らしを始めてからも、日常的に女装をしていた。
普通にスカートを履いて電車に乗り、授業を受けていた。
大学1年の頃につきあった同級生の女の子も協力してくれた。服を貸してくれたり、一緒に女装服を買いにいったり。
その子を実家に連れていったときにも、私はスカートを履いていた。
「2人で街歩いてたら、男の子に声かけられたゆうて、嬉しそうに話してたで」
母親は終始一貫、面白がっていた。
私が女装姿で街歩きを楽しんでいるところにたまたま行きあったときにも、声をかけてしばらく立ち話をしたらしい。私は全く覚えていない。
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