学生時代、女装する私は周りにどう見られていたのか?――女装小説家・仙田学の追憶
前回の母親の証言にもあったように、私は男の子の格好をしていても女の子と間違われる、非常に可愛らしい少年だった。
ただ、私の女装姿を記憶している人はあまりいない。
妹「居酒屋で働いてたとき、お兄ちゃん同じバイトの子のセーラー服か制服を借りたと言って、嬉しそうにしてたよ」
妹はこうも証言しているが、着用しているところは覚えていないとか。
借りて喜んでいるだけなら、ただの変態だ。
Aくん「俺が友人としてではなく、異性として学を見ないよう、俺の前では女装しなかったんじゃないかッ?!」
Aくんの意見には声を大にして「違う」と答えておこう。
ハッとする指摘をしてくれた友達もいる。
Iさん「私、あまり仙田くんが女装していた記憶がないのよね。仙田くんと英語のクラスで席が近くなった時に、ユニセックスで綺麗な少年がいるなぁ、友達になりたいなぁと思ったのが最初の記憶で、親しくなるにつれて、思ったより男性的で、仙田くん自身が男性的ファルスへのアンビバレントな感情を持っているように見えていた。
だから、仙田くんが女装していたことを後で知って、女性的なものから来るというよりは、ある種、女性や弱者への贖罪のように見えていた気がする。仙田くん自身が父権的なわけではなく、漠然とした何か(誰か)の代わりに罪を背負おうとしているような」
ことあるごとに相談に乗ってもらい、頼りにしてきた女友達からの指摘でもあり、頷けるところが多かった。
ファルスへのアンビバレントな感情。
たしかに私は子どもの頃から女性が大好きだった。
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