学生時代、女装する私は周りにどう見られていたのか?――女装小説家・仙田学の追憶
この連載の第1回に書いたように、好きすぎてグラビアアイドルになりたいと思ったほど。
同時に、自分のそんな欲望を、どこか自分のものではないもののように感じて、持て余してもいた。
極めて男性的な欲望にまみれていながら、見た目も性格も男らしくない自分を。
たまに女装をすることで、ふだんの男性的な自分を処罰しなければ、私は精神的なバランスを保てないのかもしれない。
「社会人らしくしないと」
「もう年齢も年齢だし」
「あいつ女捨ててるよな」
男らしく、女らしく等々……「~らしく」あらねばならない、という生きかたを、私たちは常に強いられている。
一方で、「自分らしく」あることは禁じられがち。
「女の子より可愛い男の娘」という存在は、「~らしく」かつ「自分らしく」ある生きかたを象徴しているように、いまの私には思える。
女装をしている私の姿を一番よく見ていたのはRさんだ。
Rさん「私が印象的だったのは、阿倍野駅で長めのスカート履いてる仙田くんに会ったこと。確か通学定期の性別を『女』にしてたんじゃないかな。『なんで?』って聞いたら『面白いかな~と思って』って言ってたよ」
いや、別に面白くないし……。
Rさん「部室の近くの芝生の上で酔っぱらった仙田くんが『野麦峠ー!』って何回も叫んでいて、あのときもスカート履いてたように思います」
たしかに映画『あゝ野麦峠』をその頃に観て、大竹しのぶのファンになった記憶はあるが、叫んだことは覚えていない。
友人たちの助けを借りて、過去の記憶を掘り起こしてきた。
思っていたほど、私の女装姿は友達に認知されていなかったようだ。
母親とRさんにしか見えていなかったのか?
それはさておき、女装をするまでもなく、私は女の子なみに可愛かったということがわかった。
そのせいか、私はその後20年ほど女装を封印することになる。
<文/仙田学>
【仙田学】
京都府生まれ。都内在住。2002年、「早稲田文学新人賞」を受賞して作家デビュー。著書に『盗まれた遺書』(河出書房新社)、『ツルツルちゃん』(NMG文庫、オークラ出版)、出演映画に『鬼畜大宴会』(1997年)がある
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