恋愛・結婚

ディスコ文化とモテを振り返る――“聖地”六本木スクエアビル、マハラジャ、ゴールドそしてジュリアナ東京

カフェバーと「女殺し」のカクテル

 ディスコ、クラブといった「大音量の音楽でダンスに興じるスポット」がデートよりむしろナンパに向いているのは、今も昔も変わらない。ならば当時、ディスコで奇跡的にゲットできたギャルと「しっぽり関係をあたためるスポット」だったのが「カフェバー」である。  諸説あるが、カフェバーブームのはしりとされているのは、1980年代初頭に西麻布でオープンした『レッドシューズ』。あと、人気を集めていたのは渋谷の『ソーホーズ』、表参道の『キーウエストクラブ』あたりで、オリジナリティを競い合う凝った内装と深夜営業を売りとし、ウブな大学生カップルからディスコでできあがった即席カップルまで、幅広い層の男女で連日賑わいを見せていた。 「アルコールもコーヒーも軽食もケーキも楽しめる」スタイルは、悪く言ってしまえば中途半端でもあったが、その「なんでもあり」なマルチ感と、「カフェバー」なる健全と淫靡が絶妙に同居する耳新しい響きが、バブル前夜の空気にはマッチしていたのだろう。さまざまな経緯でここへと辿り着いたカップルたちの下心と駆け引きが錯綜するカフェ風のバー(バー風のカフェ?)は、まさに「カオス」と呼んで相応しい独特のオーラがただよう空間であった。  色とりどりのカクテルが世に出まわり、ポピュラーとなったのもちょうどこのころ。もちろん、大半の男がカクテルに込める目的は「ギャルにモテること」、ひいては「酔わせること」で、見た目がオシャレだったり派手派手しかったり可愛らしかったり、口当たりがいいくせにじつはアルコール度数が高かったりするカクテルの情報交換が、男の間では「イケる」と、ギャルの間では「危ない」との触れ込みで、活発に行われたものである。  たとえば、あくまでアダルトを気取りたいなら「マティーニ」や「マンハッタン」。奇抜な色で攻めるなら「ブルーハワイ」か「メロンフィズ」、あるいは「バイオレットフィズ」。お酒があまり飲めないギャル用には、牛乳みたいに白くて甘い「チチ」も需要が高かった。そして、「もう一歩踏み込んだ深い関係」を目論む男にとっての最終兵器だったのが、アルコール度数を容易に調整できた「スクリュードライバー」と「モスコミュール」。あのマイケル富岡氏のような達人クラスが好んで“使用”していたという「ロングアイランドアイスティー」も忘れてはならない。  思い起こせば、「健康にいいから芋焼酎」なんてことを言い出す輩は一人もいなかった。ただひたすら「モテる」ため、すべての体力、知力、エネルギーを惜しげもなくギャルに注いでいたあのころの男たちは、目の前にぶら下がっているニンジンを遮二無二追いかけ、松田優作ばりのくわえ煙草で、吐くまで飲みながら、ある意味マゾヒステックに己の身体を痛めつけていたのだ。 文/山田ゴメス 写真/産経新聞社
大阪府生まれ。年齢非公開。関西大学経済学部卒業後、大手画材屋勤務を経てフリーランスに。エロからファッション・学年誌・音楽&美術評論・人工衛星・AI、さらには漫画原作…まで、記名・無記名、紙・ネットを問わず、偏った幅広さを持ち味としながら、草野球をこよなく愛し、年間80試合以上に出場するライター兼コラムニスト&イラストレーターであり、「ネットニュースパトローラー(NNP)」の肩書きも併せ持つ。『「モテ」と「非モテ」の脳科学~おじさんの恋はなぜ報われないのか~』(ワニブックスPLUS新書)ほか、著書は覆面のものを含めると50冊を超える。保有資格は「HSP(ハイリー・センシテブ・パーソンズ)カウンセラー」「温泉マイスター」「合コンマスター」など
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80's青春男大百科

マイケル富岡、向谷実ほか80年代を象徴する人物たちの貴重な証言。さらにはカルチャー、アイテム、ガジェットで、世の中がバブル景気に突入する直前のあの時代を振り返る!

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