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「葬儀会館建設の反対運動」が成功しない理由

法律は感情論を認めない

 道路が混むとか土地の値段が下がるとか実害が発生するのであれば別ですが、葬儀なんて生理的に嫌で見たくないというのが反対運動の動機になっているケースが多いです。  法律がこういった感情論を認めることはありません。  例えば会社の同僚に生理的にどうしても受け付けられない人がいたとしてそれを理由に会社を辞めさせることは可能でしょうか。そんなことは無理ですよね。  葬儀会館が差し止められないのはそれと同じことです。  そして、葬儀会館が一旦できてしまうと反対運動は沈静化します。その理由は3つあります。  1つは慣れです。最初違和感のあった葬儀の様子もそのうち見慣れてきて風景になってしまうのです。  2つ目は反対派の急先鋒になる人は、あくまで私見ですが、日頃の言動が傍若無人で近所の人からもちょっと嫌われているケースが多いのです。  そのため一部のノイジーマイノリティが騒げば騒ぐほど大多数の住民の気持ちが反対運動から離れていってしまうということが起きます。  3つ目は葬儀屋さんが地域活動に参加していくにつれて好感を持たれ始めるからです。  葬儀屋さんに就職するのは基本的に人の役に立ちたいという若者たちです。お祭りや交通整理など地元のイベントに参加していくにつれて地域住民と交流ができ、お互いを理解するようになり、最終的に地域社会に溶け込んでしまうのです。  確かに葬儀社がパラシュートのように急にその場所に降りてきて営業活動を始めると、どうしても最初の頃は軋轢が起きやすいということはあるでしょう。しかし、ドミナント戦略といって放射状に周囲に次々と会館を建設していくと、すでに地元で受け入れられている葬儀会館の近くにまた葬儀会館ができることになります。その結果地元民の認知がどんどんスムースになっていくので、反対運動はますます起きにくくなります。  では、法律で葬儀会館の建設を止めることができない住民側はどうすればよいのでしょうか?
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資本主義の原理に任せておく
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