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「母の死」が金額に換算されることへのやり切れなさ/鴻上尚史

「死」が金額に換算されることへのやり切れなさ

ドン・キホーテのピアス 母親が亡くなって、葬儀社の人と打合せを終えれば、朝の6時を過ぎていました。  実家に戻り、寝て、起きて、お寺さんに連絡しました。  葬儀社から連絡がすでに行っていて、戒名の申し込みと打合せを手短にすませました。  去年の12月に父親を亡くしたので、葬儀に対する心構えができていて、「死を金額に換算すること」に対して、どうにもやり切れぬ思いがこみ上げてきました。  でも、葬儀社の人もお寺さんも、本当によくしてくれました。とても良い人達です。これだけははっきりしています。

問題は日本の葬式というシステム

 戦場の兵士を責めるつもりはありません。問題は、日本の葬式というシステムの問題です。  30万部のベストセラーになっている島田裕巳さんの『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)は、じつに刺激的な紹介文で始まります。 「日本人の葬儀費用は平均231万円。これはイギリスの12万円、韓国の37万円と比較して格段に高い。浪費の国アメリカでさえ44万円だ」  この本が10年前に出版された後、島田さんは仏教界から講演に呼ばれていたのにぱったりと声がかからなくなり、葬儀業界からは弁護士の署名のある抗議文を二回受け取ったと、『捨てられる宗教 葬式・墓・戒名を捨てた日本人の末路』(SB新書)で書かれています。  どんなに抗議しても、この本がベストセラーになったから葬式が減ってきたのではなく、多くの人が葬式に対して疑問を持っているから、ベストセラーになったのだと感じます。
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死後、たくさんの儀式と、死をランクづけする戒名
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