デビュー20周年のノーナ・リーヴス「この3人なら20年やれると思った」
メジャー・デビュー20周年を迎えた NONA REEVES(ノーナ・リーヴス)が、それを記念するオリジナルアルバム『MISSION』をリリースした。大学生時代にバンドを結成し、それから長くポップミュージックを追求してきた彼ら。今では日本において唯一無二の存在感を放つバンドとなっただけでなく、3人のメンバーそれぞれが多彩な活動をするようになっている。
ヴォーカルの西寺郷太は多くのジャニーズグループをはじめ多くのアーティストに楽曲を提供するだけでなく、作家としても活動。80’sポップを深掘りした著作を多く世に出し、さらに大物海外ミュージシャンのCDのライナーノーツも数多く手掛けている。ギターの奥田健介とドラムの小松シゲルも多数のミュージシャンのサポートメンバーとして活躍。最近では、奥田がレキシのレコーディングやライブに出演するほか、小松は佐野元春&THE COYOTE BANDやオリジナル・ラブにサポート参加するなど、それぞれが各所でなくてはならない存在になっている。
そうやって20年のキャリアを築いてきた彼らの“今”が結晶したのが、この最新作『MISSION』だ。作品にかける思いを、ヴォーカルの西寺郷太に尋ねた。
――「これぞノーナ・リーヴス!」というポップさが溢れるアルバムでした。ただ、一曲目の「ヴァンパイア・ブギーナイツ 」はロックテイストがあるヘビーな曲ですね。今までだと1曲目のイントロから軽快な世界観が始まる印象でしたが……。
西寺:「ヴァンパイア・ブギーナイツ」は最後に作った曲なんですよ。これがなかったらもっとゆったりしたファンクとかAOR的な、大人っぽい印象が強まったと思うんですけど。「ヴァンパイア・ブギーナイツ」と「O-V-E-R-H-E-A-T」(10曲目)がアップテンポでヘビーな曲なので、多少アルバムの印象を引っ張ったかなって気がします。
――アルバムの最初にそういうヘビーな曲を持ってきたのは、どういう意図で?
西寺:まず、「O-V-E-R-H-E-A-T」を今年3月に出したベスト盤の最初の曲にしたら好評だったんですよね。あと、夏フェスにいくつか出たんですけど、今の若いロックバンドと交ざっても、ファンキーだけどロックバンド的でシンクロする部分が多かったんです。それで、もうちょっとこの路線を突き詰めていきたいなと思って、この「ヴァンパイア・ブギーナイツ」を作ったと。そういう、ライヴで感じたこともアルバムに反映されてますね。
――発売前のコメントでは「最高傑作」だと話していましたが、改めて完成した作品をどう捉えていますか?
西寺:これまでも「一番いい」と思ったものを出してきたのは事実なんですけど、例えば高校野球とかで、走力5、守備力5とか、能力値を示すダイヤモンドみたいな六角形のデータがあるじゃないですか? 今までのアルバムって、そのどれかは絶対にそれまでの一番だったと思うんですよね。けど今回は、全部において今までの最高点を、歌詞だったり曲だったりサウンド、ジャケットデザインも全部ひっくるめて超えられたんじゃないかなと。むしろ、それくらいのものを作らないと今回に関しては意味がないなと思ってて。80点とか90点のものを作ってもリリースする意味がないっていうタイミングでしたから。
――そのなかで2曲目の「Sweet Survivor 」がリード曲としてMVを先行公開したりしていました。
西寺:そうですね。今までだったらそういうリード曲になりそうなのが3曲くらいあると、変な話、あとは好きなようにやろうって感じもあったんですよ。ただ今回は「記憶の破片」(9曲目)にしても今までで一番いいバラードを作ろうとか、どの曲も“シングル的な強い曲”にしようと思って作りましたね。ほかの曲もリード曲になっていてもおかしくない曲だと思うんで、「ヴァンパイア・ブギーナイツ」もそうです。
――「記憶の破片」ではクラムボンの原田郁子さんがゲスト参加していますね。今作ではほかに、Charisima.comのいつかさんと、サニーデイ・サービスの曽我部恵一さんも参加しています。この3人のセレクトやオファーはどういった感じで?
西寺:今年は20周年記念イベントの「ノーナ最高祭!!!」ってライブをやって、曽我部さんのサニーデイ・サービスとはほぼ初めてくらいに対バンできたんですよ。郁子ちゃんもそうなんですけど、「20周年だからこそできる座組ってないかな」と思ったときに、お願いしようと思ったんです。クラムボンは結成20年が2、3年前にあって、その記念カバーアルバムを出したときにトリビュートというかたちでノーナが参加させてもらい、一曲カバーをしたんです。それが、ノーナの20周年の時に郁子ちゃんと何かできないかなっていうきっかけで。あと、Charisima.comは、それこそ存在を初めて知ったのはSPA!だったんですよ。
――そうなんですか?
西寺:はい。SPA!の誌面で何度か読んで、音を聴く前に発言などを知ってたんです。そこからフェスの楽屋とかで一緒になったりしながら、去年、彼女たちから2曲プロデュースを頼まれて、そこからの仲なので。最初は「あ!SPA!に載ってた子達だ」みたいな(笑)。
――それは嬉しい話です。今年はオリジナルアルバム以外にノーナ・リーヴスのベスト盤を2枚リリースしました。西寺さんも相当多忙だったのでは?
西寺:実は去年と一昨年のほうが忙しかったんですよ。これまたSPA!にも載っていた吉田凜音ちゃんとのバンド「マジぺパ」をやったり。ミュージカル「ジャムタウン」の音楽担当をしたり、A.B.C-Zの舞台「株式会社、応援屋!! -OH&YEAH!!-」の音楽と脚本も担当しました。これも少年隊・錦織一清さんとのSPA!での対談、再会からのストーリーですし、SPA!には本当に感謝してます。で、何冊か本も書下ろしをやっていたので。そのなかでノーナでもアルバムを出して、ソロ・アルバムも出して……と。だから今年は「すごいアルバムを作る」ことに集中したんですよ。僕自身がほかの仕事をめちゃくちゃ抱えてたらこのクオリティーにはできなったような気がして。そういう意味でも今年は時間をかけて作れたし、今年はこのアルバムを作ることに捧げた1年だったなって感じがしますね。
――西寺さん個人の急がしさとはまた違うところで、ノーナ・リーヴスとしての1年はどうだったんでしょうか。
西寺:やっぱり「ノーナ最高祭!!!」が特別なライブだったんで、いつもやってることを何気なくやるというよりは、ライブ1回1回に意味があったなと思いますね。そういえば夏に「さわごさフェス」っていう、小松の地元の長野県飯山市のフェスに出たんですよ。そしたら小松の地元の仲間がすごく喜んでくれて、やっぱり20年もやってることでいろんな人が協力してくれたなっていうのは思いますね。
ラジオ局を回るにしても、そこで働く人たちが20周年を喜んでくれたり、ある種シンボリックな存在になれてきてるとは思うんで、僕自身。80’sポップ党の党首みたいな(笑)。地方に行くと、みんなが立憲民主党の枝野さんと握手してるみたいな扱いなんですよね。18、19年とかだと、ただ長くやってるねって感じだけど、20年になったらみんな言いやすいというか。皆、少年時代にラジオにハマった同じ世代の人が多いから、すごく歓迎してもらえる。「20年前はこうだったな」とかノーナのことから思い出せるというか。
「今回は80点とか90点のアルバムじゃダメだった」
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『MISSION』 大人が楽しめるポップスを表現したオリジナルフルアルバムをリリース |
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