黒いホステスはニキビ少年に言った「頑張ったって仕方ない」――爪切男の『死にたい夜にかぎって』<第2話>
一気に上らないといけない「出世の石段」の真ん中辺りで私たちは仲良く座っている。突然の腹痛に襲われたアスカが座り込んでからすでに十五分が経過した。今にでも煙草を吸い出しそうな雰囲気だ。もうご利益もへったくれもない。新年早々、幸先の悪いスタートとなったが、それも私達らしくていいじゃないか。いつだってどん底から一緒に這い上がってきた戦友だもの。「んんん~ん!」と思いっきり伸びをしたアスカが口を開いた。
「もっと視覚的に楽しめる石段なら上まで行けたのにな」
「たとえば?」
「そうだな、草間彌生にリニューアルしてもらえばいい」
「派手な水玉模様の石段なんて誰が上るんだ」
「私だよ」
「……」
「あ! やっちゃった」
「どうした? お腹大丈夫?」
「たぶんだけど生理になっちゃった」
「出世の石段を上ってる途中に?」
「たぶんなった。逆に縁起がいいかもね」
私は石段マラソンで口から血を流し、アスカは出世の石段で股から血を流した。よくよく血に縁がある二人だ。すっくと立ち上がってアスカが大声で言った。
「お腹空いちゃった! 何か食べに行こうよ!」
「え、上まで行かないの? せっかくここまで上ったのに」
「そのつもりで休んでたんだけどさ~。お腹空いちゃったよ」
「お前なぁ、俺も巻き添えになってご利益もらえなかったの忘れないでね」
「分かってるよ、一緒に諦めてくれてありがとね」
「まぁ、いいけどさ」
「……」
「……」
「もう付き合って六年かぁ。こんな私と頑張って付き合ってくれてありがとね」
「違うよ、頑張らないからお前と一緒にいられるんだよ」
「何言ってるかわかんない」
そう言ってほほ笑んだアスカの顔が、あの日のホステスの笑顔にだぶって見えた。
黒いホステスさん。あの日から俺は頑張らない男になりました。真剣に頑張らないでいたら、俺より頑張らない困った女の子に会えました。でもめちゃくちゃ可愛いです。色々頑張らなくてよかったです。一緒に頑張れる二人も素敵だけど、何かを一緒に諦めることのできる二人はもっと素敵だと思います。何かを一緒に諦めてでも二人で一緒にいたいと思える強い気持ちを僕は信じています。
「よし、餃子食べに行こう!」とアスカに手を差し伸べる。階段を上り始めた時は叩き落した私の手を、両の手でしっかりとアスカが握る。冷え性のアスカの手は冷たいけどあったかい。「出世の石段」は決して下ってはいけないらしい。頂上まで上り切った後は、違う道から下りないとご利益が無くなるらしい。それがなんだというのか。私とアスカを笑顔にしてくれる安くて美味い餃子がこの下に待っているのだ。出世への近道より餃子屋への近道を私達はとる。
餃子をたらふく食べた後、手をつないで芝公園の近くを歩く。辺りはもうすっかり夜の帳とばりにつつまれている。ふと見上げると綺麗にライトアップされた東京タワーが見えた。東京に住んで八年以上経つが、東京タワーをこんなに近くで見るのは初めてだ。「あれが東京タワーか……」と少し感動している私の耳にアスカの苦しそうな声が聞こえてくる。
「ダメだ……薬局でタンポン買わないと……餃子食べた分だけ血が溢れてきた……」
東京タワーに目もくれずにお腹を押さえているアスカをギュッと抱きしめる。東京タワーよりも眩しく輝く彼女が横にいてくれる。こんな幸せな夜はない。
この三ヶ月後、死にたい夜がやってくる。
【爪切男(つめきりお)】
’79年、香川県生まれ。日刊SPA!で『タクシー×ハンター』を連載中。デビュー作『死にたい夜にかぎって』発売中
文/爪 切男’79年生まれ。会社員。ブログ「小野真弓と今年中にラウンドワンに行きたい」が人気。犬が好き。 https://twitter.com/tsumekiriman
イラスト/ポテチ光秀’85年生まれ。漫画家。「オモコロ」で「有刺鉄線ミカワ」など連載中。鳥が好き。 https://twitter.com/pote_mitsu
⇒特設サイトで『死にたい夜にかぎって』をいますぐ試し読み! http://www.fusosha.co.jp/special/tsumekiriman/
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