雑学

自称・天才の音楽家は全裸で泣いた――爪切男のタクシー×ハンター【第三十一話】

終電がとうにない深夜の街で、サラリーマン・爪切男は日々タクシーをハントしていた。渋谷から自宅までの乗車時間はおよそ30分――さまざまなタクシー運転手との出会いと別れを繰り返し、密室での刹那のやりとりから学んだことを綴っていきます。

【第三十一話】捨ててみて平気なもの、それは大切なものじゃない。


 私が愛した彼女は音楽の天才だった。

 周りから天才と呼ばれていたのではなく、自分で自分のことを天才と自画自賛する困った類の天才だった。とりたてて歌が上手いわけでもないし、何か得意な楽器があるかと言われたら、満足に弾ける楽器は一つもない。パソコンの音楽作成ソフトを使っての作曲しかできない。通称DTMと呼ばれるデスクトップミュージックの使い手であった。うどんはうどんだし、そばはそばなのだから、天才は天才なのだろう。そういうもんだろう。

 今まで何度も書いてきたことだが、初めて会った時、彼女は路上の唾売り娘をしていた。朝から晩まで新宿駅の周りを徘徊しては、女の唾を好物とする変態共に自分の唾を売って生計を立てる毎日。相手が求める素晴らしい唾を出せば、一唾が数万円に化けることもあった。彼女はその稼ぎで十万円を超える音楽作成ソフトを購入して、作曲活動をはじめた。

 初めてのデートでの会話を思い出す。

「唾を売ってまで手に入れたソフトでどんな音楽作ってるんだい? 聴かせてくれない?」
「……聴かせるの恥ずかしい」
「変態に唾売ってるくせに何が恥ずかしいんだよ」
「唾売ってることをどれだけバカにされても大丈夫だけど、自分の曲をバカにされたら生きていけない」
「……」
「……」
「……」
「……」
「もう唾を売る必要はないよ。俺と一緒に暮らそう」
「……え?」
「そこまでして頑張ってる君が好きになった。これからは好きなだけ曲を作ればいいさ」
「……」
「……返事は?」
「……よろしくお願いします」
「唾売ってた話を苦労話にしちゃダメだよ、笑い話にしようね」
「なんで」
「苦労話はつまんないから」

 その日から約七年間にも及ぶ私達の同棲生活がはじまった。憐みの感情から彼女と付き合ったのではないかと言われたら、否定はできない。だが、憐みの感情からはじまる恋だってある。

 同棲生活をスタートしてからの彼女は、持病のパニック障害と不眠症が悪化して働くことができなくなり、自宅での療養生活を余儀なくされた。ろくに家事もせず、部屋でダラダラと過ごしながら、一日一曲のペースで曲を作る。私が仕事から帰って来ると、その日作った曲を無理やり聴かせては感想を求める。曲を褒めると手を叩いて飛び上がって喜び、微妙な表情をすると発狂して泣きだした。正直面倒臭いと思う時もあったが、玄関を開けた時に、主人の帰りを待ち侘びた犬のように走ってくる彼女を見ると自然と笑みがもれた。

 彼女が作る曲の特徴は、主旋律はどこか郷愁を感じさせる昭和歌謡曲風の美しいメロディ、そしてそのメロディをかき消す程の激しいノイズが入り混じったインダストリアルミュージック風の伴奏、歌われる歌詞は奇天烈な単語の連発という、いわゆる電波系ソングであった。無理やりたとえるなら、ちあきなおみがナイン・インチ・ネイルズの演奏に合わせて女子高生の乱れた性生活について歌っているという感じだ。

 私個人としては曲の良さは全く分からないが、時代とマッチさえすれば、売れる可能性もあるんじゃないかと思っていた。だが、彼女は山のように曲を作っても、それをどこかに発表するということは一切しなかった。私からやんわりと勧めても「今はまだその時期じゃないの」と不機嫌な顔をして断られた。実のところは、仕事も家事も何もできないクソカスな自分にとって唯一誇ることのできる音楽、それを他人の厳しい目にさらすことへの恐怖があったのだろう。もし全否定なんてされた日にゃ、彼女の心が崩壊するのは容易に想像できた。

 それならば、私が彼女の作る曲を全て褒めてやる。彼女の作る料理は本当に食べられたもんじゃないし、家事は一つもできないけど、笑顔がそこそこ可愛いから、曲なんていくらでも褒めてやる。こんな甘やかしをすることに何の未来もないことは私が一番分かっている。それが何だというのだ。もう一度言うが、彼女の笑顔はそこそこ可愛いのだ。そこそこな所がたまらない。容姿や性格を褒められた時の笑顔よりも、音楽を褒められた時の笑顔は特に素敵だ。だからずっと笑っていて欲しい。その笑顔で私も救われるのだから。

 そう思っていたのに、早朝から深夜まで仕事に追われる毎日で心に余裕をなくした私は、彼女の曲をろくすっぽ聴かずにただ褒めるだけの機械になっていた。私が適当に褒めていることは彼女自身もよく分かっていたが、私以外の人に曲を聴かせる勇気は持てない為、どうすることもできなかった。年貢米を徴収される農民のようにのそのそと私に近づいて来ては曲を聴かせ、「ヨシヨシ」と頭を撫でてもらって帰って行く。そんな流れ作業が毎日行われていた。

 文字通り、音を楽しむと書いて音楽である。それなのに私と彼女はその音楽に真綿で首を絞められるように、じわじわと苦しめられていた。

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これまでの人生の至る所に音楽は深く関わっていた

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死にたい夜にかぎって

もの悲しくもユーモア溢れる文体で実体験を綴る“野良の偉才”、己の辱を晒してついにデビュー!

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