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ダスティ・ローデス おいらはアメリカン・ドリーム――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第41話>

ダスティ・ローデス おいらはアメリカン・ドリーム<第41話>

連載コラム『フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100』第41話は「ダスティ・ローデス おいらはアメリカン・ドリーム」の巻(イラストレーション=梶山Kazzy義博)

 1970年代、1980年代を代表するベビーフェースの超大物で、ニックネームは“アメリカン・ドリーム”。

 リング上ではスーパースター、バックステージではプロデューサーというふたつのアンデンティティーをシンクロさせることに成功したマルチ・プレーヤーだった。

 NWAがまだ“巨大カルテル”としてアメリカのプロレス界を支配していた時代の最後のレスラー・プロモーターのひとりということになる。

 ウエスト・テキサス州立大ではドリー&テリーのザ・ファンクスの後輩にあたり、学生時代はフットボールとベースボールで活躍。

 ジョー・ブランチャードのコーチを受け、1967年にテキサス州サンアントニオでデビュー。リングネームはルーキー時代からダスティ・ローデスだった。

 ローデスRhodesというカタカナ表記はスペルどおりのローマ字読みで、正しい発音は“ローズ”。プロ野球・読売ジャイアンツ、オリックスなどに在籍したタフィ・ローズと同じ名字だ。

 ローデス自身のヘヴィーな南部なまりをそのままカタカナ表記にすると“ロォーザッ”になる。鉄人テーズ(正しい発音はセーズ)と同様、誤った表記が定着してしまった例である。

 1968年、ディック・マードックとタッグチーム“ザ・テキサス・アウトローズ”を結成しミズーリ、デトロイト、オハイオ、AWA、フロリダ、ルイジアナの各エリアをサーキットした。

 マードックとのコンビを解散し、シングルプレーヤーに転向後はベビーフェースに方向転換。

 ジャイブ・トークjive talkと呼ばれるスウィングミュージックの身振り手振りを交えた南部なまりまる出しの独特のトーク、アンコ型の上半身を揺らしながらのコミカルな動きをトレードマークにNWAテリトリーでナンバーワンの売れっ子に変身した。

 ブルーカラー=労働者階級の育ちをレスラーとしてのキャラクターにアダプトし、ニックネームは“サン・オブ・ア・プラマー=配管工の息子”から“マン・オブ・ピープル=みんなの人気者”“アメリカン・ドリーム”へと進化していった。

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典型的なショーマン・タイプだったローデス

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