カーライフ

激しい反対運動を乗り越え「外環道千葉区間」が計画から約半世紀でついに完成

~不定期連載「あの日、あの道、そしていま」~

 6月2日、いよいよ外環道千葉区間(三郷南-高谷間約15km)が開通する。この原稿の執筆時点ではまだ未開通だが、半地下の掘割構造部はサイバーパンク感満点だろうし、なによりこの開通による交通のスムーズ効果は、首都高三郷線や中央環状線のみならず、首都圏全体に及ぶはず。私も道路交通ジャーナリストとして長年開通を待望してきただけに、ついに夢が実現したという思いだ。

6月2日に開通する外環道千葉区間(http://www.gaikando.jp/)

 外環道千葉区間が計画されたのは、なんと約半世紀前の1969年。当初は高架構造の予定だったが、沿道住民による激しい反対運動が起き、1973年に事業凍結された。このあたりの経緯は、1966年に計画決定、1970年に事業凍結となった外環道東京区間とほぼ同様だ。  実は、千葉外環と同じ1969年には、外環道埼玉区間も都市計画決定されている。その埼玉区間は、24年前の1994年に大泉-三郷間が開通したのに対して、千葉区間がこれほど遅れたのは、都市化の進行の微妙な差だったと言えるだろう。  当時、埼玉区間はほぼ田園地帯だったので、高架高速のまま建設できたが、千葉区間は一部市街地や住宅地を貫いていたため反対運動がはるかに激しく、大幅な計画変更を余儀なくされた。  

外環道千葉区間の詳細(http://www.gaikando.jp/)

 1987年になってようやく、当初の高架構造から半地下の掘割構造への変更が検討されはじめ、1995年に決定。もともとは側道(国道298号線)を含め幅員40mの計画だったのが、環境対策のため60mに広げられ、国道の外側には歩道に加えて緑地帯や副道、自転車道が設けられることになった。  しかしそのぶん、用地買収面積は拡大。当時千葉県は、成田空港反対闘争の影響で収用委員会が解散状態だったこともあり、用地買収は思い切り難航した。このままではいつ完成するのか見当もつかない状態が続いたのである。  2004年、16年ぶりに千葉県収用委員会が再建され、ようやく用地買収が前進の気配を見せはじめる。私が初めて建設予定地を訪れたのはその3年後、2007年のことだった。当時はまだ用地買収は虫食い状態で、特に市川市菅野付近の市街地で難航をきわめていた。地元自治体は受け入れを決定していたが、頑強に反対する住民は少なくなかった。

まだなにもなかった2007年当時の外環道千葉区間整備用地

 ちなみに当時、外環道千葉区間の完成目標は2015年度とされていた。結果的にそこから2年強遅れになったわけだ。

2007年当時は「外かん」だった

 その6年後、2013年には用地買収率99%に達しており、急速に工事が進められていた。当時なにより感動したのは、半地下の掘割部の工事現場だった。ほとんどが宅地化していた予定地に、幅60mの長大な空き地が出現し、一部ではその中央に約30mもの幅の巨大な溝が完成しつつあった。それはまるでパナマ運河。実に壮大な風景だった。

まるで千葉のパナマ運河

 それでも予定地上にはまだ、テコでも動かないような反対看板を掲げる家屋も存在した。未買収地件数はすでにヒトケタになっていたが、なにせ1軒でも残っていたら高速道路は完成しないから、勝手にハラハラした。

用地買収率99%の2013年当時でも「絶対阻止」のたて看板があった

 その後、掘割部が完成するにつれ、半地下部には換気・採光のためのスリットを除きコンクリート製のフタがかぶせられ、“千葉のパナマ運河”は地下に隠されることになった。その上の地上部にはゆったりした緑地帯や歩道が整備され、現在はもう外環道の存在すらよくわからない。  繰り返すが、計画から約半世紀。ついに千葉外環は完成した。事業費は約1兆円。予定地を何度も訪れ、その変化を目の当たりにしてきた身としては、1兆円を価値を噛みしめつつ、初走行に涙するつもりだ。  残る外環道の未開通区間は、大泉-東名間のみ。「のみ」と言ってもここが最大の難関であり、個人的にも20年前から現地に足を運んでその困難ぶりを肌身で感じてきた。2000年に出版した拙著『首都高はなぜ渋滞するのか!?』では、現予定地のままでの建設は不可能と断じて、環八の地下への計画変更を提言したが、石原慎太郎元都知事の英断により大深度地下化が決定。工事が進んでいる。

外環道の未開通区間(大泉-東名)の2020年東京オリンピック・パラリンピックまでの完成は、かなり困難な模様(http://www.tokyo-gaikan-project.com/)

 もっともこちらは、まだ用地取得率91%(2018年3月時点)で、シールドマシンも南側からしか発進できておらず、2020年東京オリンピックまでという開通目標は「困難」と正式発表されている。おそらく数年から10年遅れとなるだろう。 取材・文・写真/清水草一
1962年東京生まれ。慶大法卒。編集者を経てフリーライター。『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高速の謎』『高速道路の謎』などの著作で道路交通ジャーナリストとしても活動中
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