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湾岸線、レインボーブリッジ、山手トンネル…首都高といえば何?

 首都・東京に張り巡らされた高速道路・首都高といえば、利用しない人からすれば、とにかく混んでる、料金が高い、東京の景観を破壊しているというイメージでしょう。そんな首都高を、18歳で免許を取って以来、40年にわたって見守ってきた首都高研究家・清水草一こと永福ランプが、首都高の完成を機に引退。最後に溢れんばかりの首都高愛を語りました! オートクラブ永福ランプ(清水草一)=文 Text by Shimizu Souichi 池之平昌信(流し撮り職人)=写真 Photographs by Ikenohira Masanobu

横浜北西線開通で世界でも類を見ない都市高速道路がついに完成!

 3月22日、首都高横浜北西線が開通し、東名と首都高湾岸線が直結された。開通待ちして2番乗りで走り初めをしたモテないカーマニア軍団は、首都高の思い出話に花を咲かせたのであった。
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永福:これで首都高の新規路線の開通はほぼ終わりだよ……。 担当K:えっ! そうなんですか!? 永福:埼玉大宮線の延伸が残ってるけど、それが終わったらあとは老朽化による造り直しだけ。つまり首都高は完成しちゃったんだよ! 担当K:さみしいですねー。 永福:18歳で免許を取ったその晩、首都高に走りに行って、とっても怖い思いをしてからちょうど40年。思えばいろいろあった。 担当K:なにしろ、日本でただ一人の首都高研究家ですからね。 永福:ペンネームも地元の首都高出入口名(永福ランプ)にしてるくらいだ。ところで、青森県人のキミにとって、首都高ってどんな存在だったの? 担当K:首都高を初めて走ったのは、中3のときの修学旅行でした。バスガイドさんの「あれが金八先生も歩いていた荒川の土手です」っていうアナウンスを思い出します。 永福:いいアナウンスだね~。もうC2の東側ができていたのか。 担当K:道路が地面よりも高いところを走っていること自体、未来都市みたいに思えました。 永福:首都高の未来都市感が高まったのは、湾岸線ができてから。特に東京港トンネルと辰巳JCTだな。なにもない埋立地を貫く6車線の高速道路、サイバーパンクな海底トンネルと渦巻くJCT。あれこそ首都高の未来都市感の原点だろう。 担当K:それって何年ですか? 永福:湾岸線の千葉方面ができたのは、’80年代前半だよ。それまでの首都高はひたすら渋滞地獄だったけど、湾岸線は深夜なら気持ちよく走れたし、東京港トンネルと辰巳JCTを通過すれば、SF映画みたいな感覚を味わえるようになったんだ。 担当K:『湾岸ミッドナイト』ですね。 永福:そして’93年、レインボーブリッジが開通する! 担当K:僕が首都高を走り始めたころには、もうありました。 永福:レインボーブリッジができたら、なぜか地元の4号新宿線上り渋滞が劇的に緩和されてビックリした。それが首都高研究家になった一つのきっかけかな。当時の湾岸地区はまだスカスカだったけど、その後お台場にフジテレビができてタワマンが林立しはじめて、レインボーブリッジからの夜景がニューヨークみたいになっていったんだ。 担当K:特に上り方向から見る夜景がスゴイですよね! 永福:ニューヨークには首都高はないから、あんな夜景、飛行機からしか見られない。でも東京はレインボーブリッジを渡れば簡単に楽しめる! 日本三景に入れてほしいよ! 担当K:僕としては、山手トンネルができて、首都高の都心側が劇的に空いた記憶が強烈です。 永福:’07年の山手トンネル(C2新宿線)開通のときは、真剣に涙が出た。5年前(’15年)にC2が全線開通して、都心寄りの渋滞がほぼ半減。夢のまた夢の実現みたいで、今でも信じられない思いがある。 担当K:でも、僕としてはC1の雰囲気が好きですね。特に内回りの霞が関から谷町JCTまでの区間は、『湾岸ミッドナイト』で悪魔のZやブラックバードが時速300㎞を出すところなので、走るたびに感情移入してます! 永福:C2が完成してスムーズに流れるようになったからこそ、C1のレトロな雰囲気が楽しめるようになったんだ。でも、こうしてネットワークが完成して渋滞が減れば、もう研究する必要もないだろう。 担当K:えっ! 首都高研究家なのに!? 永福:大渋滞してたからこそ、いろいろ提案する余地があったんだ。横浜北西線の開通を機に、首都高研究家は引退して、今後はいちカーマニアとして楽しもうかなと思ってる。 担当K:涙の開通&引退ですね~。
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