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「やられた。財布が、ない!」――世界23か国、2年と8か月も続けた「世界一周花嫁探しの旅」をやめる理由〈第43話〉

【15か国目 ギリシャ】 ギリシャは古都テッサロニキ、首都のアテネに滞在後、フェリーとバスを乗り継ぎ、ギリシャの本土から160キロ離れた南の島、クレタ島のハンニャと呼ばれる海沿いの街に移動しました。そこにはヨーロピアンやアメリカ人、カナダ人、ロシア人など多くの白人がリラックスするために集まっていました。1か月ほど安宿に滞在しましたが、日本人どころかアジア人すら一人も見ませんでした。

ギリシャ・クレタ島のビーチでくつろぐヨーロピアン

海はコバルトブルーに澄み渡り、美しすぎるくらいの真っ白なビーチ。「嗚呼、やっとエーゲ海に来たな」と思いました。そこで、バイクを1台レンタルし、世界中の友だちと2ケツして、誰もいないプライベートビーチを探し、完璧なるチルアウトをする毎日でした。

完全にチルアウトしているフランス人の友達

夜は宿の仲間と飲み会です。昔取った杵柄で、ピンポンパンゲームなど日本の飲み会ゲームで皆を盛り上げました。日本人の俺がサミットの議長で、世界中の人を仕切っている気分です。各国のお国柄が出て、とても面白い経験でした。特に面白かったのはイスラエル人です。各国の人は多少リアクションは違えど、ゲームに負けたら「一気飲み」をします。フランス人はワイン、ロシア人はウォッカ、ドイツ人はビールなど自国の酒で一気します。でも、イスラエル人だけは、ゲームに負けるとルールを変えて自国のゲームにしようと提案するのです。自分の得意分野に持ち込むやり方。非常にクレバーです。国際社会の中で独自路線を貫くイスラエル。その国民性をピンポンパンゲームから垣間見ることができました。 日本人の俺がサミットの議長をやるのに一つ大きな問題がありました。アメリカやイギリス、カナダ、オーストラリア人などのネイティヴスピーカーが混じると英語がほとんど聞き取れなく、うまくゲームを仕切れないのです。英語力ゼロだった俺が、フィリピンの語学学校で培った英語力。東南アジア、スリランカ、インド、ネパール、中東の旅でその英語を日常的に使うことで「もう英語は全然大丈夫」と思っていましたが飛んだ勘違いでした。皆がどんどん打ち解けていくなか、一人コミニュケーションが取れず忸怩たる思いをしました。 「このままじゃだめだ!」 俺はもう一度英語を勉強することを決めました。 【16か国目 マルタ共和国】 アテネに戻ると飛行機で南イタリア・シシリア島のすぐ隣にある、マルタ共和国という小さな島国に移動しました。もう一度英語学校に通うためです。マルタで入学を決めた英語学校は、ブラジル、コロンビアが50%、スペインが20%、残りの30%にヨーロッパやロシア、トルコ、韓国、中国、日本などの国が振り分けられるという割合で構成されていました。生徒の100%がアジア人だったフィリピンの英語学校と違い、かなりの多国籍な構成です。 貧乏旅行中の俺にとってかなりの出費でしたが、清水の舞台から飛び降りる気持ちで大金を払い、プライベートレッスンも取り、朝9時から夕方5時までびっちりというカリキュラムを組みました。

マルタ・セントジュリアン。ここに滞在していました

また、泊まっていたドミトリーの屋上がバーになっており、学校が終わるとそこで深夜まで世界中の人たちと毎晩酒を酌み交わしました。昼間は学校英語、夜はスラングも含めたリアル英語。マルタでの英語は学校よりも、こちらのほうが役に立ったような気がします。 英語での喧嘩も初めてここでしました。ドミトリーのベッドに何度も女を連れ込むイケメンのスウェーデン人が学校の日本人女友達に手を出そうとしたからです。俺は元々彼が嫌いでした。自分は世界一周花嫁探しの旅をしているくせにチャラい男が大っ嫌いなのです。彼はヨーロピアン同士の時、グループの女の子には決して手を出しません。一人の女の子を狙います。しかし、アジア人の俺達のグループに入り込みやたら友達に話しかけます。何度も「こっちで話があるから今はどこかに行ってくれ」と優しくお願いしました。しかし彼はお構いなしに友達を狙ってきます。日本男児の俺が舐められているような気分にもなり、無性に腹が立ちました。この旅で一番ブチギレた瞬間かもしれません。アジア人同士の飲み会が終わり、友達が帰った後の深夜、彼を誰もいない屋上に彼を呼び出しました。 俺「おいこら、なに俺の友達に手を出そうとしてんだよ!」 チャラ男「ごめんごめん。女がいたら口説く。これはヨーロッパ常識なんだ」 俺「てめー、日本人を舐めてんのか? こら!」 チャラ男「いや、ソーシャルトーク、ソーシャルトーク。これはヨーロッパのルールなんだ」 俺「こっちが嫌がってのにか? 何度もやめるようにお願いしたよな? こっちはグループっていうソーシャルで話をしてるんだよ」 チャラ男「それでも普通にトークはするよ。常識だよ常識」 こっちの気持ちを逆なでさせるような言い訳をしてきました。毎晩違う女の子の口説いてるのを、俺が密かに観察していることを彼は知りません。やはり日本人、ひいてはアジア人、というか俺を完全に舐めてるように感じました。 「じゃー、俺のヨーロッパの友達に聞いてやるよ、何が常識か!」 俺は彼を友達のヨーロピアングループのところに連れて行き、詳細を説明しました。 「知らねーよ、そんな常識」 「君の国だけじゃないの?」 「グループの娘には手をださねーのがヨーロッパのルールだよ」 皆、半笑いで彼の主張に反論します。 そのなかにいたイタリア人の友達はこう諭します。 「イタリア人でさえもおめーみたいに誰かれ構わず女に手をださねーよ」 これだけは嘘だと思いましたが……。 満場一致で彼の意見を跳ね除けました。後で彼らと話をしましたが、毎日屋上で女を口説きまくる彼をみんな面白く思っていなかったようです。チャラチャラしている奴はどこの国の野郎からも嫌われる。そこに国籍はないようです。彼は翌朝荷物をまとめ、ドミトリーから逃げるように出て行きました。 しかし時間が経った今、その状況をもう一度冷静に分析してみました。イケメン白人に口説かれていた友達の女の子の気持ちは、 「この日本のおっさん早く消えないかなー。私、イケメンと話したいのに」 だったかもしれません……。 俺はただの鬱陶しいおせっかいおじさんだったのかも……。 そんな嫌な思い出だけでなく、いい思い出もたくさんあります。日本人の友達から貰ったカレールーで日本のカレーライスを作り、皆に振舞ったところ「すげーおいしい!」と大好評でした。日本のカレーライスはここでも最強なようです。それから皆との絆がより深まっていきました。 喧嘩やカレーライス、仲間との語らい、この屋上で起きた沢山のドラマは今もとても美しい思い出として心に残っています。

ドミトリーの屋上。毎晩、語り明かした思い出の場所

そんななか、悲しい事件が起きてしまいました。学校のイベントでブルーラグーン(ドーナッツ型の岩の中に浅い内海がある地形)に行ったのですが、7メートルの崖からダイブした韓国人の友達が亡くなってしまったのです。 彼とは年齢も近いこともあっていつも二人で煙草を吸っていました。俺がオランダ人、韓国人の友達とビーチからラグーンに向かっている最中、韓国人の友達のサンダルの尾が切れてしまいました。すると偶然通り掛かった彼は自分のシューズの靴紐を一本抜いてサンダルを簡易的に修理してくれました。とても優しい良いヤツでした。 ラグーンでの飛び込みは学校スタッフから禁止のお達しが出ていました。ラグーンの内海から外海の岸まで500メートルは泳がないといけないからです。しかし、世界の男どもはそんな注意を聞きません。まず最初にブラジル人が飛び込みました。次にスペイン人、コロンビア人、イタリア人、フランス人 と、ラグーンは世界の男の度胸試しの場に早変わりしてしまいました。ここで飛び込まないと自国の男の名が廃る。そんな空気が流れていました。男にはそんな変なプライドがあるのです。もう、飛び込んでないのはアジア人だけです。韓国人の彼と目が合いました。 「俺が先に行くわ! アジア人を代表して!」 そう言っているようにも感じました。彼はダイブした後10メートルぐらい泳ぎ、内海と外海の間の岩に捕まっていました。泳ぎがうまくなかったのが印象に残っています。正直、俺もダイブしようか迷っていました。 「ごっつ、帰ろうよ」 オランダ人の友達からそう言われ、ふと我に帰りました。 ラグーンから離れ、もと来た道を歩いていると学校スタッフが血相を変えて走って来ました。俺はなぜかピンときました。 俺「もしかして韓国人の身に何かありました?」 スタッフ「わからないけど、ヤバイ状態らしい」 俺「俺も何か手伝います」 スタッフ「じゃあ、彼の荷物の中からパスポートかIDを探して欲しい。病院に行くのに必要になる」 俺「わかりました」 俺たちは駆け足でビーチに戻り、彼の荷物を探し、IDを見つけ学校スタッフに渡しました。空に救急用のヘリコプターが飛んでるのが見えました。病院に搬送されたそうです。数時間後、彼が絶命したという話を聞きました。死因は不明。救助した時には心臓が停止していたそうです。外海に出る時、大波で頭を岩にぶつけたのか? 溺れたのか? 心臓麻痺なのか? わからなかったそうです。 彼は離婚をして家族がいないうえに、ご両親はすでにお亡くなりになっていました。翌日、学校の皆でお祈りをしました。女の子たちは抱き合い、涙を流しました。 その後、彼の遺体は引き取り手がないままマルタの遺体安置所に無縁仏としてずっと安置されいていたそうです。 彼は最後まで韓国の男の意地とプライド見せました。もし彼が飛び込んでいなければ俺が飛び込んでいたかもしれません。タバコを吸いながら離婚の話をした時の彼の悲しげな表情を思い出しました。そして最後にちらりと目があった彼の顔が脳裏に浮かびました。 「俺が先に行くわ! アジア人を代表して!」 俺はドミに戻り、ベッドのカーテンを閉めて一人で泣きました。 ご冥福をお祈りします。

ブルーラグーン。ここで韓国人の友人が亡くなった

2か月間の勉強の末、アッパーインターメディアクラスを卒業しました。アッパーインターメディアクラスレベルの英語力だと、イタリア人の友達曰く「イタリア政府の仕事にもつける」レベルとのこと。世界中の人とも大分スムーズにコミュニケーションが取れるようになりました。 しかし、一つだけ心に引っかかることがありました。マルタで開催されていたバレッタ国際映画祭に行った時のことです。イギリス映画を英語字幕なしで観たのですが、その登場人物の英語がほとんど聞き取れなかったのです。ギリシャのクレタ島でネイティブスピーカーグループに参加して、うまくやれなかった苦い思い出が蘇りました。そこで、マルタの次は英語を生んだ国、イギリスのロンドンへ飛ぶことにしました。
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17か国目は…
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1969年大分県生まれ。明治大学卒業後、IVSテレビ制作(株)のADとして日本テレビ「天才たけしの元気が出るテレビ!」の制作に参加。続いて「ザ!鉄腕!DASH!!」(日本テレビ)の立ち上げメンバーとなり、その後フリーのディレクターとして「ザ!世界仰天ニュース」(日本テレビ)「トリビアの泉」(フジテレビ)をチーフディレクターとして制作。2008年に映像制作会社「株式会社イマジネーション」を創設し、「マツケンサンバⅡ」のブレーン、「学べる!ニュースショー!」(テレビ朝日)「政治家と話そう」(Google)など数々の作品を手掛ける。離婚をきっかけにディレクターを休業し、世界一周に挑戦。その様子を「日刊SPA!」にて連載し人気を博した。現在は、映像制作だけでなく、YouTuber、ラジオ出演など、出演者としても多岐に渡り活動中。Youtubuチャンネル「Enjoy on the Earth 〜地球の遊び方〜」運営中
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