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平成の政治家はなぜ、昭和と比べると小粒感があるのか?

 田中角栄、中曽根康弘、竹下登など、いまだ語り継がれる昭和の大物政治家。彼らに比べると、平成の政治家は、どこか小粒感が否めない。両者の違いを、憲政史家の倉山満氏はこう分析する。

自民党HPより

「佐藤栄作元首相以降の総理大臣は、政策は官僚に丸投げしているため、昭和と平成を比較しても、内容に差はありません。ただ戦後最高の政治家として注目すべき人物は、『所得倍増計画』などで戦後日本の発展を支えた池田勇人元総理です。池田内閣以降、高度経済成長は佐藤栄作内閣へと引き継がれ、いまだに日本は恩恵を被っています。アベノミクスも、所得倍増計画の焼き直しと言えます」  池田内閣を別に、政策は昭和と平成で変わらない一方、「両時代の政治家の印象を左右するひとつに資金力がある」と倉山氏は続ける。 「昭和は景気が良かったので、党首が気に食わなければ、お金を集めてクーデターを起こし、別の党を立ち上げたり、子分を連れて別の派閥を作ることができました。いわば、創業社長が多かったんです。でも、平成に入ってからは、景気が悪くて資金力のある政治家が激減。そこで、“寄らば大樹の陰”とばかりに、資金力を持つ総裁派閥に集中する現象を生みました」  こうした風潮に拍車をかけたのが、昭和最後の総理・竹下登だ。 「竹下さんはアメとムチで例えるなら、断然“ムチ”派。言うことを聞かないと制裁しますが、従順なら出世させる。結果、『上の言うことをおとなしく聞けば、年功序列で出世できる』という風潮が一般的になり、悪い意味で政治家のサラリーマン化が進みました」  平成の政治家のサラリーマン化が進んだ結果、昭和のように決断力のある政治家は減少する。 「昭和の政治家を『大物』と感じるのは、普通のサラリーマンにはない決断力や行動力があったから。田中角栄さんはロッキード事件などがあったものの、義理人情を大事にする姿勢が国民から親しまれました。また、浜田幸一さん、通称・ハマコーも昭和を代表する政治家です。とにかく豪快で、セクハラ疑惑があった社会党の安宅常彦議員に、『強姦野郎!』とヤジを飛ばしたり、愛人との密会現場をスクープされるばかりか、愛人インタビューを載せたりとやりたい放題。まさに“暴れ馬”でしたね」  いまでは考えられない破天荒さだが、それがまかり通ったのは、「昭和の政治家はプロレス上手だったから」と倉山氏は指摘する。 「好景気で世間が寛容だったこともあり、政治家がパフォーマンス上手でした。国会乱闘も、竹下登さんや金丸信さんが『ここで走れ』『ここでカメラを見ろ』と逐一指示した台本があったと言われています。いまは台本を書ける人物がいないため、乱闘自体が皆無です」
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唯一、平成でプロレス上手だった政治家
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