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天才歌手・清貴はなぜ消えたのか? 当人が語る「大ヒットから17年の波乱」

 エンターテインメントの世界で第一線で活躍し続けるほど難しいことはない。一世を風靡するヒット曲を生み出しても、数年後には忘却の彼方へ……。「そういえばあのアーティスト、今何してるんだろう?」と思うことも多い。  2001年、『The Only One』が40万枚のヒットを記録した清貴も、程なくして表舞台から姿を消した。  果たして消えた天才歌手・清貴は、今、何をしているのか?   2018年夏、日刊SPA!は当人をインタビューした。
清貴

清貴

 1998年、宇多田ヒカルの『Automatic』が社会現象となり、日本に本格的なR&Bブームが到来する中、2000年に“男性版宇多田ヒカル”とも言うべき圧倒的な歌唱力とテクニックで衝撃のデビューを飾った清貴。約半年後には『The Only One』によってスターダムに上り詰めるが、直後から新曲のリリースが停滞し、メディアへの露出も激減していった。    インタビュー当日、清貴はある場所でライブを控えていた。

ゲイであることを隠すのは苦しかった

――今日はライブ当日にも関わらず、ありがとうございます。 清貴:専門学校の自主ライブのゲストで2曲歌うんです。夢を追う若者って、いいですね。 ――17年前、『The Only One』を聴いたときは“本物が出てきた!”と鳥肌が立ちました。どんな活躍を見せてくれるのかと非常に楽しみにしていたのですが……。 清貴:あの頃のことは、正直、あまり覚えてないんです(笑)。高校生のときに初めて送ったデモテープが目に留まり、そのまますぐデビューしてしまったから。プロ意識も希薄で、とにかく無我夢中だったんです。そんな中、ミュージックステーションに出演した際、ネットなどで「タモさんを見る上目使いは絶対ゲイ」といった噂話が囁かれ始めました。一番触れられたくないと思っていたことに触れられて、メディアに出ることがすごく怖くなりました。 ――自分がLGBTだと自覚したのは、いつ頃ですか? 清貴:小学校高学年のときから他の友達との違いを意識するようになって、中学・高校で確信に変わりました。 ――ということは、デビューしたときはすでに。 清貴:そうですね。でも、やっぱり隠さないといけない。インタビューで「好きな女の子のタイプは?」といった質問を受けるたびに、気持ちが塞いでいきました。表現者なのに嘘をつき続けないといけないのは苦しいし、オープンにしたい。でも、オープンにしたら歌うことができなくなるかもしれない。不安と悩みばかりが大きくなり、4thシングルの『Signal』をリリースしてから1年間、音楽ができなくなってしまいました。

「もっと歌いやすい曲を」と言われて

――1年後に復活して3枚のシングルをリリースして、再び3年間のブランクがありました。 清貴:デビュー当時は好きな音楽を、好きなように歌っていたのですが、次第にレコード会社から「複雑な歌い方をしないで、もっとみんなが歌いやすい曲を」と言われるようになりました。ファンの方からもよく言われるのですが、「難しすぎて、カラオケで歌えない」と(苦笑)。セクシュアリティの問題と同時に音楽性の問題も抱え、自分が何をやりたいのかわからなくなってしまったんです。 ――たしかに、フェイクやホイッスルといったテクニックは素人には簡単にマネできません。 清貴:そうしているうちにメディアへの露出も減っていきました。でも、そこに関して落ち込むことはなかったんです。というのも、デビューから一気に売れてしまったので、常に自分の中に「これでいいのか?」という思いがありました。「敬愛するルーサー・ヴァンドロスのような人間性豊かな表現が出来ているのか?」という焦りがあり、むしろ「下積み期間が遅れて来ただけ」と、前向きに受け止められたんです。そしてその期間に、ゲイコミュニティで自分を受け入れてくれる仲間を作ることもできました。
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あなたがいてくれたから

清貴/Kiyotaka

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