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ゲイである自分に悩み、消えた天才歌手・清貴「音楽の力はアーティスト個人のものではない」

 2000年にデビューし、『The Only One』が40万枚の大ヒットを記録。“男性版宇多田ヒカル”と期待された清貴は、その後ゲイである自分に悩み、目指すべき音楽を失って姿を消した。  そして、自分の道を求めて渡ったアメリカから帰国した2015年、カミングアウトによって第二の音楽人生を歩み始める。 清貴

一人で歌うよりも、“みんなで歌う”という音楽の在り方

――カミングアウト後の反響はどんなものでしたか? 清貴:やはり、僕のことを”男性”として見ていたファンの方からは、「ショックを受けた」と言われたりもしました。でもそれ以上に、「清貴君の音楽が好きだから何も変わらない」という方がたくさんいて救われました。それから、同じように社会的に生きづらさを抱えるLGBTや障がいを持った方々から、暖かい声援をいただくようになりました。  そして、それ以上に大きな変化は、自分が変わったことです。10代でデビューして20代の頃は、暗くてどこかに陰があると言われていました。でも、カミングアウトした瞬間に、それまで自分を取り囲んでいた壁がなくなった気がしたんです。自分を素直に表現することで、自分自身を好きになって、ありのままを受け入れられるようになった。だからこそ、「自分のためだけでなく、もっと誰かのために歌いたい」と思えるようになりました。 ――正直、インタビューする前まで、こんな明るい方だとは思いませんでした。 清貴:昔のイメージとはまったく違うと思います(笑)。そして同時に、音楽に対する向き合い方も180度変わりました。10代、20代の頃は、自分一人で歌うこと、自分の内省的な部分を表現することばかりにとらわれていました。けれど音楽の力って、そうしたアーティスティックな側面だけではないと思うんです。アメリカでゴスペルを歌うことで培った、誰かと一緒に歌って音楽を奏でる素晴らしさ。歌うことで誰かと繋がり、その人が歌に乗せて自分を表現する勇気を持てば、希望の輪はどんどん広がっていくはずです。  そのために『SING FOR JOY』というプロジェクトを始めました。東京、仙台、福岡、名古屋で、一般人の方々の参加を募ってゴスペルクワイア(合唱隊)を結成したんです。子供から大人まで、歌が好きで来る方もいれば、僕の音楽のファンの方もいらっしゃいます。指導は僕がするのですが、自分をオープンにしていることで、一人の人間同士として純粋に歌うことで繋がっていられる。いずれは武道館で、メンバーみんなで歌えたら最高ですね。そして、2020年の東京パラリンピックの開会式でも、会場一体となって歌声を響かせたい。そんな夢を今、追いかけています。
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清貴/Kiyotaka

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