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ブラジルのスラムに10年住んだ日本男性の生き様。会社を辞めて写真家になった理由

 ブラジル・リオデジャネイロの“ファベーラ”と呼ばれるスラム街に10年以上住み、そこに暮らす人々の日常を撮り続けてきた日本人がいる。

ファベーラ 現地でも治安が悪いと言われるファベーラ。貧民層をはじめ、なかにはギャングもいる。2016年に帰国するまで、彼らと生活を共にしながら、ときにはメキシコやキューバまで足を運び、娼婦やボクサーを被写体にカメラを向けた。その集大成とも呼べる写真集『ROMÂNTICO(ホマンチコ)』が話題の写真家・伊藤大輔氏だ(42歳)。ホマンチコとは、ポルトガル語でロマンチックや劇的という意味。

 過酷な環境のファベーラに住み、写真を撮ること。伊藤氏は「サバイバルする者への憧れがあった」というが、そのような“生き方”は並大抵ではできないだろう。どのような経緯があったのか。自分らしい生き方とは。インタビューから紐解いていきたい。

伊藤大輔

ブラジルのリオにて、伊藤大輔氏(左)とその妻。もうすぐ7歳になる長女を妊娠時の写真

会社員時代、「こうはなりたくない」というモデルがたくさんあった


 明治大学を卒業後、スペイン・バルセロナのIDEPにて写真を学んだ伊藤氏。とはいえ、いわゆる“東京六大学”を出た人間の多くが安定した企業に就職するなか、彼が選んだのは写真家の道だった。そもそも、どんな理由があったのだろうか。

「実は1年間、日本の一般企業に勤めていました。しかし、自分にはいわゆるサラリーマンのノリが合わないと感じて、辞めてしまったんです。上司やまわりを見渡しても『こうはなりたくない』というモデルがたくさんいて……

 ビジネスの現場では「いつもお世話になってます」のような定型文で喋ることを求められ、全員が足並みを揃えなければならない。飲み会では口を開けば仕事の愚痴ばかり……。そんな典型的なサラリーマン生活に嫌気が差した。明治大学では硬式野球部に入っていたが、結局は辞めてしまった。第一線を退いた頃から体育会系のノリに違和感を覚えていたのだ。

 ある日、会社で決定的な出来事が起こる。

「上司から締め日に結果が出なかったことを自分のせいにされてしまったんです。そのとき、思わず『俺は悪くない』と言い返してしまったのですが、上司から胸ぐらを掴まれ大声で怒鳴られた。でも、その光景をだれもが見て見ぬふりを決め込んでいて……。会社を辞めようと決意しましたね」

 振り返ってみれば、硬式野球部を辞めてからずっと挫折感を抱えていた。小学校1年で野球を始め、そればかりやってきた。心に大きな穴が空き、代わりの“何か”を探していたが、見つからなかった。そして、とりあえず会社に就職したが、結局はうまくいかなかった。

 通勤電車に揺られながら、会社を辞めることを考えていたとき、国際的な写真家グループ「マグナム・フォト」の存在を知る。それまでカメラを触ったことはなかったが、直感で「これだ」と思ったのだ。

「今まで野球しか知らなかったけど、人生は長いと思って。もうひとつぐらい挑戦してみたかったんです。あとは、単純に自分は頭を使うよりカラダを使うほうが得意だなって」

 まだ20代前半、時間はたっぷりある。そう考え、カメラの知識や経験はなにひとつなかったにも関わらず、会社に「俺はカメラマンになる」と啖呵を切って、いきなり海外のスペインに飛んだのだ。

伊藤大輔

バックパッカーとして旅していた頃

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「写真は撮りたいものがわかれば、あとは身を捧げるだけ」

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ROMÂNTICO
「クレイジージャーニー」出演で大反響。 リオのファベーラに10年住み、そこに暮らす人々のリアルな日常を切り取る写真家・伊藤大輔初作品集。ブックデザインはMATCH and Companyの町口景が手がける。





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