更新日:2023年03月20日 11:20
エンタメ

爆問・太田とのバトルが話題のぜんじろうって何者?「平成の明石家さんま」と呼ばれた時代も

関西で人気を誇り、一気に全国区タレントに

 1992年から関西ローカル番組の司会業を任されるようになったぜんじろうは、その巧みな話術で一躍人気タレントの仲間入りを果たす。その評判は東京のテレビ局にも轟き、「平成の明石家さんま」と称されて全国区の番組にも出演するようになった。 「超天才・たけしの元気が出るテレビ!!」など人気バラエティだけでなく「ぜぜぜのぜんじろう」という冠番組も持っていた。アニメ「こどものおもちゃ」では本人役で声優デビューも果たしている(ちなみに原作マンガではこのキャラクターは明石家よんまというタレント名だった)。  しかし、関西での成功を基軸にした東京でのテレビ出演は上手くいかなかった。どんどんレギュラー番組は減っていき、さらにナインティナインやロンドンブーツ1号2号の台頭も重なって、ぜんじろうは東京のテレビから姿を消してしまった。  そこから先、彼は芸能界から完全に姿を消してしまったかのように思われているのだが、そういうわけでは全くなかったようだ。

スタンダップコメディアンとしての活躍



 1998年頃、ぜんじろうは活動の場として海外を選んだ。シカゴのChicago Comedy Festivalでプロデューサーの目にとまったことに始まり、翌年にはNewZealand Comedy Festivalに正式招待。2000年には映画『PP兄弟』で、スティーヴン・セガールの息子である剣太郎セガールと兄弟漫才コンビ役を熱演している。2003年にはTokyo International Comedy Festivalの企画。オランダやアメリカでの番組出演や台湾での単独ライブなど日本人スタンダップコメディアンとしての地位を確立していく。  2015年には第1回タイ国際コメディフェスティバルで優勝を飾り、2016年に第1回全米サクラメントコメディ大会でも4位という成績を残している。  ぜんじろうというコメディアンの海外からの評価は高い。確かに日本のテレビを通じての活躍ぶりを目にする機会は少ないかもしれないが、彼は決して消えた存在でないことは明らかだ。

 4月18日のぜんじろうのTwitterに「よしもと動いた!」という投稿があった。これは、何らかの形で太田光とぜんじろうの直接対決が行われることを示唆しているのだろう。この騒動がどんな結末を迎えるかはわからないが、ぜんじろうという一人のコメディアンの存在を改めて世間に知らしめるひとつのきっかけになったことは間違いないだろう。<文/もちづき千代子>
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