ネット売買が当たり前の今、なぜか生き残り続ける東京最古の質屋
メルカリなどのフリマアプリの普及によって、誰もが自分のものを売ったり中古品を買ったりできる世の中になった。その大きな波によって、質屋業はいま最大の岐路に立たされており、毎年倒産する店が相次いでいる。
「創業元禄二年」の文字。生類憐れみの令(しょうるいあわれみのれい)でも有名な、徳川五代将軍綱吉の時代から320年以上つづく歴史を持っている。質屋といえば貴金属やブランド品などを買い取るイメージを持つ人もいると思うが、江戸から昭和の初め頃まではほとんどが着物だった。個人が持っている「財産」といえば、それぐらいしかなかったという時代の背景が伺える。
質草(質屋に持って行ってお金と替えてもらうもの)に変化が現れたのが昭和30年代。高度経済成長を迎え、白物家電が大量に質入れされるようになった。着物でいっぱいだった蔵に、洗濯機や冷蔵庫がどんどん増えたという。そして昭和の終わりになってようやく、私たちがイメージする貴金属やブランド品がが質草となって登場したというので、私たちの持つイメージはかなり最近にできたものだとわかる。バブルの波は江戸時代から続く、質屋の蔵の中身まで一変させたのだ。
長い歴史を持つ質屋の顔といえば「蔵」。ここフクシマ質店にも大変立派な蔵が二棟も建っていて、その容貌は威厳に満ちている。元々あった蔵は大正時代に関東大震災で崩れてしまい、現在のものは昭和一桁にできたもの。
東京大空襲の災禍で、この辺り一体すべての建物が焼き尽くされたが、この蔵だけ被弾を免れた奇跡的な存在だ。質屋は「保管業」であるがゆえに、預かっているものが焼けてしまう火事をもっとも恐れているため、蔵には蟻一匹入る隙間もないという。
フクシマ質店があるのは、相撲の街としてお馴染みの両国。この場所にあるからこそ、入ってくる質草もあった。例えば引退した力士が、現役時代にタニマチ(後援してくれる客)から貰った化粧回しをこっそり持ってきたり、若い力士が「兄弟子がタニマチから似たようなプレゼントをいくつか貰ったので、1つを質に入れて、それで飯に連れて行ってくれるからおつかいに来た」とやってきたり。苦労する力士の懐も支えていたのだ。
そんな中にあって、今も営業を続ける都内最古の質屋「フクシマ質店」。最古のものばかり巡り「サイコメグラー」を自称する筆者が、同店の10代目社長に取材し、その歴史と現代に質屋が存在する意義についてお伝えする。
歴史を見つめてきたフクシマ質店
存在感抜群!質屋の顔
この街ならではの質草
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Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。
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