今年で5回目の紅白出場となる、星野源(38)。10月にリリースされた新曲「Same Thing」を披露することが決まったが、これがいわくつきの楽曲なのだ。
星野源 公式サイト
NHKでの初披露では、ネズミの鳴き声で隠したが…
理由は、
計7回登場する“fuck”(ファック)という単語。ひとつを除き
すべてサビで歌われ、メッセージの中心と曲のフックが“fuck”だとはっきり分かる構造になっている。
テレビ初披露となった『おげんさんといっしょ』(NHK、10月15日放送)では、当該箇所にモザイクをかけ、声優の宮野真守(36)が扮するネズミの“チュー”という鳴き声で歌を覆い隠す演出がなされた。
NHKは“fuck”自体に問題はないとの認識だったものの、海外でも放映されることを配慮しての処置だったという。だとすれば、同じく国外にも流れる紅白での扱いはどのようになるのだろうか?
<12月31日夜追記:
そこで当日の放送を確認したところ、“fuck”は同じく性行為を意味するスラングの
“screw”に置き換えられ、様々な文脈での“クソったれ”を伝えたいという星野の願いは叶えられたようだった。>
いずれにせよ、“賭け”に打って出る星野源の勇気には敬意を表したい。
10月にリリースされた「Same Thing」
だが、その一方で少々気になることもある。ベストセラー『蘇る変態』(2014、マガジンハウス)の文庫版『よみがえる変態』(2019、文春文庫)が、大幅に改変されたとのニュースを目にしたからだ。「週刊女性PRIME」によると、修正箇所は100以上にも及ぶ。
『蘇る変態』は、他人には隠しておきたいような下ネタから芸能人批判に至るまで、星野源のアイデアと精神が凝縮された一冊だ。
「女子SPA」にも書評が掲載され、どんな小ネタにも手を抜かない星野のこだわりぶりが伝わる本だと紹介されていた。
ところが、である。そんな表現者たる星野の結晶とも呼ぶべき執拗な描写や単語のチョイスがきれいさっぱり漂白されてしまっているのだから、これは「Same Thing」のFワードなど問題にならないほどの大事件だろう。
たとえば、舞台で共演した女優に向けての一文。<
どうだい木南さん、野波さん美人女優のお二人、見てください。俺はいま勃っています。>(『蘇る変態』)は、文庫版では個人名は消え、<
稽古場の皆さん、ぜひ見てやってください。私の股間は元気ですよ!>と、やや控えめな表現に変えられている。
さらに、<スポーツニュースの女性アナウンサーの脚を見て「ここ三日間で抱かれたか否かを予想」したりして>(『蘇る変態』)との部分は、発想そのものがカットされ、完全になかったことになってしまっている。
これを正当な軌道修正と見るか、コンプライアンス的な自主規制と見るかは意見の分かれるところだろう。それでも、人を不快にさせることもいとわず全てをさらけ出していた2014年の星野源と、高い意識がにじみ出たドヤ顔でFワードを連発する2019年との星野源を、同一人物と見ることは難しい。
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清潔なスターとなった星野源の鬱屈?
しかし、これをもって批判するのも酷だ。星野源は、いまや一介のミュージシャンを超えた存在だからである。数々の大企業のCMに出演し、『ドラえもん』の主題歌も歌う、国民的なスター。すなわち、クリーンで明るいイメージを維持することを課せられているわけだ。法的、社会道徳的に清潔な立ち居振る舞いを求められるほどに、彼自身の自由と欲求は制限されていく。
好感度の生け贄となる代償として、
自著に膨大な修正を施しつつ、時代のトップランナーよろしくFワードを連発せざるを得ないと考えれば、「Same Thing」はなんとも悲哀に満ちた響きを帯びてくる。
ゆえに、音楽的な評価はともかく、世知辛い時代性を映し出す「Same Thing」に、想定外のブルースを感じるのだ。
<文/音楽批評・石黒隆之>
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter:
@TakayukiIshigu4