更新日:2023年05月23日 17:43
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百田尚樹氏の政権批判に戸惑うネトウヨ…保守界隈に何が起きてる?/古谷経衡

百田氏は保守界隈の毛利輝元

百田ツイート

2月24日の百田氏のツイート。コロナ対策において政府批判と、政府を非難しない保守論壇を非難するツイートをした

 作家の百田尚樹氏が、新型コロナウイルスへの日本政府対策を巡って熾烈に官邸を批判し、安倍政権にNOと言わない保守系言論人を打擲(ちょうちゃく)する趣旨のツイートを連発したことで、所謂保守界隈にちょっとしたさざ波が立ち始めている。  保守界隈における百田氏の立場を簡単に言えば百万石以上の大大名と言ったところで、関ヶ原で例えれば西軍の総大将・毛利輝元(120万石)クラスに当たる。  当然このクラスになってくると、そこに無批判に追従する十万単位のネット右翼や、百田氏を頂点とする「お友達グループ」をひっくるめて「ネット上」では大勢力を有するのだが、安倍政権のやることなすことを全部肯定するのが「保守」と勘違いしている多くのネット右翼連中にとって、この「総大将によるいきなりの反アベ」は、怒髪天の「転向」と映っている。  新型コロナを巡っては、クルーズ船への対応を筆頭に、それ以外でも百名を超える感染者が出ていること(2月25日現在)を食い止められない事から、左右を問わず政府批判が強い。  が、とりわけ保守界隈は新型コロナを「武漢ウイルス」と呼称することに拘り、「政府の対応も後手ではあるものの、そもそも中国が悪い」「そもそも論で言えばクルーズ船は英国船籍なのだから日本が助ける筋合いはない」などというエキセントリックな責任転嫁によってぎりぎりのラインで安倍批判を回避している都合上、百田氏による正面切っての安倍批判はいきなり出現した敵軍による十字砲火である。

百田氏の「反アベ」驚かない理由

 しかし、私にとってこの百田氏による苛烈な政権批判は特段、驚くに値しない。私はまだ百田氏が地上波に露出している末期、一度だけ氏と共演した経験を持つ。だが、私はそれ以前から観察対象として百田氏を意識し、氏の動向が保守界隈における決定的影響力を有している事実から、彼の一挙手一投足を注視していた。  そうしてあまりにも私が百田氏を注視し過ぎるものだから、百田氏から嫌われてしまい、ついに私はCSチャンネルで氏から名指しで「モップ頭」という渾名を授かり、そしてとうとう令和2年に入ってツイッターをブロックされるという珍事に発展してしまった。しかし、私の百田氏に対する観察の目は一時も休止することなどありえないのである。  戦国時代の故事からも分かるように、総大将が右に動けば、総大将より格下に居る中小の親藩・譜代大名も必ずそれに呼応する。保守界隈における百田氏がまさにそれで、氏が右と言えば中小の親藩・譜代も右へ。氏が左と言えばみな同じ。  何の権限も持たない外様は、もっと直線的に氏の右往左往に呼応する。その姿はクジラの遠泳に付き従う小魚さながらである。こうした巨大な影響力を百田氏が持つようになったのも、全てが『永遠のゼロ』の国民的大ヒットのお陰であることは論を待たない。

『永遠のゼロ』こそ百田研究の本筋

 百田氏による苛烈な政権批判は特段驚くに値しない、と前段で書いたのはまさにこの作家・百田尚樹の華麗なるスタートと言える『永遠のゼロ』の中にこそある。  百田氏がこの作品の後、しばらくして保守界隈の重鎮となり「右傾化した」とされてから、「右翼の百田の作品など読まない」という人物が少なからずいるが、実際に『永遠のゼロ』を読んでみると、アンチ東京裁判史観的要素を含むが、物語の主軸は妙な戦後民主主義的価値観を持った戦闘機乗り「宮部」で、話の進行も極端に右傾化したものではない。  映画版ではそれがより顕著で、巨視的に観れば「やはり特攻という行為自体は無意味だった」という話にも解釈できる。ただ、全体としての「空気」が、「先の大戦における日本軍は偉大で自制的で美しい紳士達であった」という何の根拠もない保守界隈の「皇軍無謬(むびゅう)説=遊就館思想」に、マッチングするところが何個所かあった、というだけにすぎない。 ※遊就館=靖国神社境内にある、戦時中の武器などが展示されている施設  要するに百田氏の出自・根源は、保守でも何でもない人である。私が観察するに、むしろ既存の封建的権威に批判的な戦後民主主義的価値観を濃厚に有した状態のまま社会人をスタートさせたのだろうな、という想像すらできる。  しかしそこに、所謂「保守界隈」の連中が磁石のように吸いつき始めた。百田氏は元来エンタメ放送作家だが、特に歴史を含む人文科学の基礎的領域には穴が多い。というか穴だらけである。  近年ヒットした氏の『日本国紀』などを読み込んでもその粗の多さが目につく。氏の歴史知識は歴史学科以外の一般学部生(1年時基礎教養)に毛が生えた程度で、例えるなら「走る棺桶」と英軍に馬鹿にされたWWⅡ期イタリア軍の豆戦車に毛が生えたような水準である。  だがその「イタリア軍の豆戦車に毛が生えた」程度の知識にも拘らず、磁石のように吸いついた「保守界隈」は、百田氏に対し森羅万象について常に意見を求めるのだった。 「韓国政府や韓国人の民度についてどう思うか?」「中国問題についてはどうか?」「反アベないし反日左翼について何かコメントを」「沖縄の基地問題と左翼については?」「朝日新聞について」「北朝鮮は…」等々。  こうして、元来ほとんど思想的に無色だった百田氏は、保守界隈という一種の巨大で自閉したサロンの中でその存在感を増していった。氏が保守界隈で披露した数々の視野狭窄的かつ差別的とも取れるインタビューや対談本の中で披露される日韓・日中関係史等の多くは、彼に磁石のようにまとわり付いた保守界隈の親藩・譜代から雑談の中で得た耳文(じぶん)がほとんどであろう。  あまりにも根拠のない与太話によって成り立っているモノが多すぎるからだ。それもこれも、百田氏が元来、エンタメ放送作家という外部出身者で、「保守」の文脈の中から出てきた人ではないからである。彼が思想的に「何もな」く、それゆえに無知だったからこそ、『永遠のゼロ』以降、急速に保守界隈が好む論調に染められていったのであろう。
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百田氏の保守界隈での立ち位置がポイント
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(ふるやつねひら)1982年生まれ。作家/評論家/令和政治社会問題研究所所長。日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。20代後半からネトウヨ陣営の気鋭の論客として執筆活動を展開したが、やがて保守論壇のムラ体質や年功序列に愛想を尽かし、現在は距離を置いている。『愛国商売』(小学館)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり ヘイトスピーチはなぜ無くならないのか』(晶文社)など、著書多数

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