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アントワープ完全移籍が発表されたサッカー五輪代表・三好康児の見据える未来

コパ・アメリカの経験をどう捉える?

 昨年6月のコパ・アメリカ(南米選手権)では、代表デビュー2戦目、初先発したウルグアイ戦で2ゴールを挙げるなど鮮烈な印象を残した三好。コパ・アメリカでの活躍が、ベルギーへ渡るキッカケにもなったと振り返るが、その経験をいまどう捉えているのか。 「あそこでの活躍が、ここに来る要因になったのは間違いないですが、あれがすべてかと言うとそうでもない。もちろんA代表の世界大会は初めてで、試合の雰囲気や相手のレベルなど改めて肌で感じられたことは大きな財産。  ただ、自信を掴んだとか、あれで海外でやっていけると思ったわけではなく、南米のレベルの高い相手とやれたことで、このままでは難しいっていうか。今後、A代表やワールドカップを目指すうえでは、やっぱり普段から海外で戦うことが必要なんじゃないかと思わせてくれた大会でしたね」  ’97年生まれ、23歳の三好は東京五輪で活躍が期待される1人として注目されてきた。その東京五輪は先ごろ、やはり新型コロナウイルスの世界的流行を受けて1年程度の延期が発表されたが、五輪について三好はこんな風に話していた。 「出たことはないので、どういう場所かはわからない。正直、記憶に残っているのはサッカーよりも体操とか水泳とか、メダルを取ってきた競技ですね。五輪って結局、メダルを取れなかったら何の注目もされないじゃないですか(苦笑)。だから、出る以上はメダルを取ることがすごく大事かなって思います。  僕は’97年3月の早生まれだから、同学年でも出場できない選手がいるなか、出場資格があるのはホントにラッキー(東京五輪の男子サッカーの出場資格は原則1997年1月1日以降に生まれた選手)。そういう意味では何か縁を感じますし、それも自国開催ですからね」  アントワープでトップ下を務める三好は、いわゆる2列目と呼ばれる攻撃的なポジションの選手。同じポジションには、同じ左利き、同じ海外組の久保建英(18歳、マジョルカ)や堂安律(21歳、PSV)らライバルがひしめき、メンバー入りには激しい競争も予想される。 「もちろん、ポジションのかぶる選手は自然と意識しちゃいますよね(苦笑)。ただ、メンバーを選ぶのは監督で、自分は選ばれるにしろ、選ばれないにしろ、チャンスが来たときにチームの目標である金メダルに向かって後悔のないようにプレーするだけ。アンダー世代の時もそうでしたが、やっぱり2列目は花形なポジションというか、注目される選手は多いじゃないですか。そこで誰かを蹴落として自分がとか思ってもしょうがないし、結局は自分のプレーに集中するしかないですから」
三好康児3

2m近い選手が多いチームで奮闘する

 現在ヨーロッパでは多くの日本人選手がプレーしており、三好も現地で連絡を取り合い、近郊の都市でプレーしている選手とは食事に行くなど交流があるという。 「同じベルギーでプレーしているユウキくん(小林祐希、ベフェレン)やジュンヤくん(伊東純也、ヘンク)に会ったり。あとアントワープはオランダからすぐですし、オランダには同世代の選手も多いので(現在オランダでプレーする6選手中5人は五輪世代)、よくみんなで集まって食事に行ったりしています。  そこに頼り過ぎてもよくないですが、同じチームでプレーしているわけではないので、お互いの環境やチーム事情について話すのは面白いですし、日本語でグチれるのは気分的転換になります(笑)。誰と話しても現状に満足している選手はいないですし、いろいろ話すことで互いに刺激し合えるのは良いことかなと思っています」  東京五輪の1年程度の延期が発表されたことで、2021年に24歳となる三好に出場資格がそのまま適用されるかは不透明な部分はある(先日、延期となった場合も従来の出場資格は維持されるとのFIFAの方針が明らかになった)。だが、三好にとって東京五輪はゴールではない。サッカー選手として見据えるのは、やはりその先のワールドカップである。 「もっと高いレベルでプレーしたい気持ちは強いし、できるだけ早くにステップアップはしたい。ただ、そのためにはアントワープでもっと結果を残さないといけないのはわかっています。僕は小さい頃2002年の日韓W杯を見てサッカー選手になりたいと思ったので、やっぱりW杯に出るのが一番の夢。いまは東京五輪が目の前の目標ですが、それはたまたまくらいの感じというか(苦笑)。  ただ、そこでの活躍は、その先の2022年カタールW杯につながるはず。年齢的にもいちばんいい時期になると思うし、まずは目の前ことに集中しながら一歩一歩成長していければと思っています」 三好康児(みよし・こうじ) ’97年3月26日生まれ、神奈川県出身。小学5年から川崎Fの下部組織で育ち、15年にトップチームに昇格。同年の新潟戦でJ1デビュー。18年に札幌、19年は横浜FMへ期限付き移籍し、同年8月にベルギーのロイヤル・アントワープへ移籍、4月7日にアントワープへの完全移籍が発表された。’11年から各世代での日本代表に選出され、東京五輪世代中心で臨んだ’19年6月の南米選手権でA代表デビューし、第2戦のウルグアイ戦で初ゴールを含む2得点。利き足は左。167cm、64kg。 取材・文・撮影/栗原正夫
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