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コロナでホームレスになった60代「給付金10万円のもらい方がわからない…」

―[コロナ禍と人生]―
 新型コロナウイルスの流行により仕事や住居の変化、起業・学業・結婚の中断、中には家族の死など人生計画を狂わされてしまった人々は数多い。彼らはその後、どうなったのか? 今後もコロナ禍収束の見通しが立たない中、その生活ぶりと価値観の変遷に密着した。
コロナ禍と人生 ホームレス

※写真はイメージです

コロナで居酒屋が潰れてしまい、河川敷暮らしする男の現場ルポ

 コロナ禍によって普段の生活を失った人は多いが、住居と仕事を同時に失った人もいる。  取材班は、多摩川の河川敷で、そんな一人の男性を直撃した。  ホームレス事情に詳しいライターの村田らむ氏によると「河川敷はあまり文句を言われず野宿生活ができるため、ホームレスにとっては最後の楽園のような場所」だという。  河川敷にあるゴルフ場の裏手には何軒もの大きな小屋が建てられていた。公園などに建てられていた小屋に比べると、はるかに家に近い建物である。ガソリン発電機を持っていたり、テレビのアンテナを立てていたり、大きな畑をつくっていたりと、ある程度快適な生活ができている人も多い。  ただ、その楽園にも大きな災難が起きた。昨年10月に発生した巨大台風で多摩川は氾濫寸前の状態になってしまった。そのため、ほとんどの小屋は流されてしまった。  それでホームレス生活をする気力が折れ、福祉アパートに入る人も多く、「人口はずいぶん減った」と村田氏は言う。  取材班がホームレスに話しかけながら歩いていると、普通はあまりテントを建てない河川敷の中ほどに1軒立っているのを見つけた。通常はもっと目立たない場所か、橋の下の雨が当たらない場所に建てる。そこも確かに橋の下なのだが、鉄道橋なので隙間が空いているので雨よけにはならない。そして電車が通るときは、ものすごくうるさい。終電まではおちおち寝ていられないだろう。テントもかなり貧弱なもので、いかにも即席で作られたものだった。  住人はそのテントの前で、空き缶をつぶしてビニール袋に詰め込んでいた。ホームレスの人たちが最も多く営んでいるのが廃品回収業であり、その中でもアルミニウム製の空き缶を集めている人が多い。話しかけると、スラッとした体格の60代とみられる男性が明るい声で「何? どうしたの?」と返事をしてくれた。
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どうして河川敷で生活することになったのか
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年収100万円で生きる-格差都市・東京の肉声-

この問題を「自己責任論」で片づけてもいいのか――!?
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