お金

ギャンブルで100万円を賭けられる人間は、勝っても負けても地獄に堕ちる

返し終わった借金は、ピカピカの新しい借金に見える

 これまで収入からチビチビ処理できていて、遅滞もなく、なんなら生活にも支障が出なかったおかげで「無い」に等しかった借金を、あぶく銭で返し終えた瞬間に再びその存在感を増してきた。リニューアルされたピカピカの借金(正確には限度枠)は生き生きしながら、 「さあ初めまして冒険者、俺たちと一緒に一山当てようぜ!」  と語りかけてくる。その言葉に乗らなければ男じゃない。と、馬鹿な自分は勝手に世の男を代表していた。  ギャンブルについてだが、いや、ギャンブルに限らないかもしれない。初めて100万円を超える支払い又は勝負をした時の思い出は忘れようとしても絶対に忘れられない。  100万円とは、貯めるのには途方もない時間がかかるのに、なくなる時は一瞬の不思議な金額だ。一度に100万円以上の「何か」が起こった時、親や先生、地元の友人との間で長年かけて育ててきた正常な金銭感覚の全てを破壊する。 「タガ」とは本来、木板を並べたものを固定し、桶にするための輪状の部品である。外すと木板が一気にバラけ、中に入っているものが全て流れ出る。100万円を一度に失う衝撃は人の心のタガを外し、中に入っていた金銭感覚や価値観を全て流れ出して台無しにしてしまう。  僕は140万円の勝負をした時が初めての「100万円超え」だったのだが、勝負が終わった瞬間にはもう100万円を賭ける前の自分には二度と戻れなくなっていた。余談だが、僕の友人は今年競馬で100万円勝ってしまってからずっと地獄を見ている。最近も100万円負けて抜け殻になっていたが、近いうちにまた100万円の勝負をするらしい。一流大学を出て有名企業に入ったとしても、人は簡単に堕ちてしまう。教育が快感に負ける瞬間だ。彼はもう馬を見て馬だと認識できない。悶々と皮算用をしてはヨダレを垂らし続けている事だろう。ギャンブルに堕ちるとはそういう事なのだ。

100万円を作るまでの道程は辛い

 100万円を作るまでの道程は辛い。少しの我慢が長いこと続き、ようやく100万円が出来上がる。しかし人間は「慣れる」生き物だ。1の痛みを100回続けたとしても、痛いのは最初の20回くらいで、あとは惰性で我慢できてしまう。瞬間的な100の痛みに、その努力はいとも簡単に負ける。  金銭感覚が壊れたら、そこからはあっという間だ。僕は平然と200万円を賭けるようになっていた。当時通っていたカジノのテーブルでの最高ベット金額だ。  もうチップがオモチャにしか見えない。価値は日本円で200万円あると言うのに、まるでポケモンでジムリーダーと戦う前くらいの緊張感で臨んでしまう。心の奥では負けたらリセットできるつもりでいる。ここで言うリセットとは「借金」だ。もちろんリセットにはならない。最後の10万円を使った後に追加で10万円を借りている自分がいる。  旅行で行った海外のカジノで大負けした時、現地では結構平気でいられる。そこでは時間が止まっているからだ。僕はスラムに2週間いたが、金はほとんど使わずに楽しめた。一番辛いのは、日本に帰ってきて日常の時計の針が動き出した時だ。  家賃、光熱費、携帯代、借金の支払い……。 「金が無いなら使わなきゃいいや」が通用しなくなった時、本当の絶望がやってくる。
次のページ
新しい絶望
1
2
3
おすすめ記事