更新日:2022年11月16日 19:14
ニュース

「難民と認めてほしい」軍政の弾圧から逃れてきたミャンマー少数民族の願い

軍事政権から逃れて日本に来たロヒンギャ民族

都内の駅前で募金活動を行うミョーさん

都内の駅前で募金活動を行うミョーさん

 かつては「ビルマ」と言われていた国もクーデターによって名前を変えられ、今ではすっかり「ミャンマー」との国名で定着してしまった。それでも一度はアウンサンスーチー氏が主導して民主化が実現した時期が、わずかではあるが確かにあった。  そんなかりそめの民主化も2021年2月に終わりをつげ、またもやクーデターによって軍事政権が実権を握り、暴力が支配する国となり民衆をどん底に突き落とした。 「募金、お願いしまーす。募金、お願いしまーす」  ミャンマーから日本へ逃れてきた人々が、軍政を批判するデモや、母国で苦しんでいる人々のための募金活動を精力的に行っている姿は、よく都内で目撃される。  ロヒンギャ民族のミョー・チョー・チョーさん(37歳)もその活動に積極的に参加していた。 「ミャンマーでの軍政を自分たちが終わりにしないといけないから、何の民族とか関係なく、みんな頑張っています」  ミョーさんは2006年に来日しているが、まだ難民として認めてもらえず、仮放免の状態だ。そんな彼の壮絶な人生についてインタビューさせてもらった。

民主主義の国を作るために活動

10月27日に行われた、ミャンマー大使館前での抗議行動。ミャンマー軍の空爆によって多くのカチン族が殺された。ミョーさんもこれに参加している。

10月27日に行われた、ミャンマー大使館前での抗議行動。ミャンマー軍の空爆によって多くのカチン族が殺されたことに対する抗議だ。ミョーさんもこれに参加している。

 ミャンマーのラカイン州でミョーさんは生まれた。2歳のころ、親戚を頼って家族で首都ヤンゴンに避難した。後で親が言うには、「ラカインに居続ければ軍による弾圧、迫害を受けるので、離れなければならない」とのことだった。そこから日本に行く決意をするまではずっとヤンゴンに住み続けていたが、ロヒンギャ民族であったために民族差別を受け、とても苦労したという。  ミャンマーの宗教は仏教が9割と多く、ロヒンギャはムスリムなのでそれだけでも差別やいじめがあるし、顔が違うからすぐわかってしまう。ミョーさんは軍や警察、学校の先生にも意地悪なことを言われたり、露骨に嫌な態度を取られたりしたという。  そんなある日、中学4年生の時に同じ町に住む友達がNLD(国民民主同盟)の若者グループの会員だったので、ミョーさんも影響を受け入会することにした。  NLDはアウンサンスーチー氏を書記長とする大きな政党だが、そこに属することはとても危険が伴うものだった。NLDではない一般の人ですら、軍の話をしていることが警察に知られると捕まってしまう。それがNLDに入った場合は、もっと狙われることになる。隠れて軍政を批判したチラシを配ったり、「NLDを応援してほしい」との手紙を出したりしていたが、常に「見つかったらどこから逃げるか?」と相談し合いながら活動を続けていた。  ミョーさんたちの活動は民主主義の国を作ることが目的だった。今の軍事政権、独裁的な法律を変えたかった。  ロヒンギャはあまりアウンサンスーチー氏を快く思っていないと言われている。しかし、ミョーさん自身はそうは思っていなかった。 「確かにスーチーさんはロヒンギャのことを外国のインタビューなどで触れていない。それで良く思っていない人もいます。でも言えない理由があったのだと思う。この場でこう言わないと命まで危ないから……という事情があったのかもしれないし、軍がどう脅したのかもわからない。  自分は、スーチーさんの政権になってから少しは良くなっていたと思う。全部一気に変えることはできない。良い国を作るには一つひとつやらなければいけない、経済、人権、外交、ミャンマーの問題をちゃんと解決しようとしていた。例えば、スーチーさんの時は、貧乏でも携帯電話を持つことができていた。軍事政権では、お金を持ってない人は携帯電話を持てない」
次のページ
どこでもいいから、ミャンマーから出たかった
1
2
3
おだあさひ●Twitter ID:@freeasahi。外国人支援団体「編む夢企画」主宰。著書に『となりの難民――日本が認めない99%の人たちのSOS』(旬報社)、入管収容所の実態をマンガで描いた『ある日の入管』(扶桑社)

ある日の入管~外国人収容施設は“生き地獄”~

非人道的な入管の実態をマンガでリポート!


記事一覧へ
おすすめ記事