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巨人はなぜ「若手を使わないのか」。ヤクルト高津監督と対照的な“原監督の哲学”

三冠王の村上は、こうして育てられた

 強化指定選手に指名された選手を育成するにあたり、指導者が絶対にやってはいけないことがある。「どんなことがあっても、その選手の成長を黙って見守ること」だ。  打者の場合、どれだけ打てなかったとしても、打撃フォームをいじるようなことはしない。わずかでも打撃フォームにメスを入れてしまったことで、それまで打てていたコースがまったく打てなくなり、長所とされている部分がかき消されてしまうという状況だけは避けなくてはならない。  この指導方針で大成したのが、昨年史上最年少で三冠王に輝き、現在チームの4番を打つ村上宗隆である。村上は17年のドラフト1位でヤクルトに入団。19年のシーズン当初は、おもに6番か7番を打っていたが、二軍では4番を任されていた。将来的にヤクルトの屋台骨を背負って立つ選手と首脳陣が認めているからこそ、4番としての帝王学を学んでもらいたかったというのが狙いだった。

一切口出しをしなかった首脳陣

 村上の長所は、遠くに飛ばすことに加え、「配球を読むことができること」である。打者の場合、喜び勇んで一軍に行ったものの、いいところなく二軍に落ちてしまったというケースは少なくない。仮に一軍でしばらく結果を残したとしても、相手チームから弱点を執拗に攻められて数字が残せなくなってしまったというケースも往々にしてよくあることだ。  だが村上は研究に研究を重ねた。首脳陣も村上の考えて取り組んでいることに一切口出しをしなかった。そのことが、村上を球界屈指の打者として成長させた要因の1つであるともいえる。  こうしたプロセスを経て、高津監督は自身が二軍監督時代に指導していたことで、高橋、村上ら有望な若手を一軍でブレイクさせることに成功し、21年、22年のセ・リーグ二連覇を達成した。これもヤクルトの球団と一軍、二軍の首脳陣が一体となって取り組んだ成果ともいえる。
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巨人は完成品よりも「極上品」の選手が多い
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スポーツジャーナリスト。高校野球やプロ野球を中心とした取材が多い。雑誌や書籍のほか、「文春オンライン」など多数のネットメディアでも執筆。著書に『コロナに翻弄された甲子園』(双葉社)
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