更新日:2023年06月21日 18:31
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「津波の心配はありません」なぜこの言いまわし?気象庁や“言葉の専門家”に聞いてみた

よく聞き取れなかった人が「誤解するかも」

飯間:「津波の可能性」と言う場合は、もちろんこの②の意味と考えられますが、ポジティブな①の用法を連想させる余地があります。緊急時の混乱のなかで、「……の可能性はありません」と表現すると、よく聞き取れなかった人は、「何かポジティブでないことが起るのかな」と誤解するかもしれません。言葉の使い方が誤りというわけではありませんが、緊急時に「可能性」を避けるのはひとつの知恵です。  また、「津波の被害はありません」という言い回しは、「被害があったかどうか」を問われた場合にふさわしい表現です。「津波が来るかどうか」を問題にする場合には、適切でない表現と言えるでしょう。そう考えると、冒頭にお挙げになった表現のなかでは「津波の心配はありません」がベストと考えられます。  気象庁の方が「心配の対義語が安心」と指摘されるとおり、安心感を与える効果もあります。

「津波の心配はありません」が浸透した理由

三省堂国語辞典

『三省堂国語辞典』第八版

――では「津波の心配はありません」は妥当な表現なのですね。ちなみに、津波を心配する主体は誰なのでしょうか? 飯間:誰が心配するのか、ということですね。これも『三省堂国語辞典』で説明しましょう。 〈心配 ①〔悪いことが起こりはしないか、どうなるか、ということを〕気にかけること。気がかり。「親に―をかける・―の たね・もう―ない・―事(ごと)・―性(しょう)の人」(⇔安心) ②おそれ。「情報流出の―はない」〉 (『三省堂国語辞典』第8版 2022年)  これを見ると、①の用法では、たしかに心配の主体はあります。「誰々が何々を心配する」「誰々が誰々に心配を掛ける」と、特定の主体がいるわけです。  一方、②の用法は「おそれ」とイコールであり、誰か特定の人が心配しているわけではありません。「津波の心配はありません」はまさしくこちらの用法です。すなわち、「誰にとっても心配するような事態にはなりません」ということです。「おそれ」も同様で、「災害のおそれはない」と言う場合、「誰にとってもおそれるような事態にはらない」と言っているのです。 ――「心配=おそれ」であれば、「津波のおそれはありません」でも意味合いは問題ないのでしょうか? 飯間:はい、ほとんど同じ意味です。実際、「おそれ」と表現する報道はあります。ただ、同一のメディアの中でいろいろな表現が使われては混乱を招くかもしれません。災害時はむしろ「判で押したよう」な表現が望ましいので、それぞれのメディアで決まっている表現があれば、それをことさら変える必要はないと考えます。 <取材・文/はるうらら> 【飯間浩明】 1967年10月21日、香川県高松市生まれ。国語辞典編纂者。『三省堂国語辞典』編集委員。著書に『日本語はこわくない』(PHP)、『日本語をもっとつかまえろ!』(毎日新聞出版)、『知っておくと役立つ 街の変な日本語』(朝日新書)、『ことばハンター』(ポプラ社・児童書)など。『気持ちを表すことばの辞典』(ナツメ社)も監修。Twitter:@IIMA_Hiroaki
医療従事者として都内総合病院に勤務していたが、もともと興味のあったWebライティング業界に思い切って転身。大手メディアと業務委託契約を結び、時事ネタ・取材をメインに記事を執筆。中には450万PVを達成した記事も。ちなみに国内外問わず旅行が趣味で、アメリカ・オーストラリアで生活をした経験もあるバイリンガル。現在、海外移住計画中
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